イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/02/11

バロック建築の迷宮 レッチェ Lecce (その3)

Ciao a tutti!!  Come state?
みなさんこんにちはー☆ お元気ですか?


南イタリア紀行「サレントをゆく」シリーズの第一弾としてレッチェ(Lecce)を訪れていますが、今回はレッチェの街をぶらり散歩しながら、観光スポットをめぐりましょう♪


あ、ちょっとその前に。。ふと思ったんですが、レッチェというとブーツの形をしたイタリアのつま先にあたるカラブリア州の "Reggio Calabria(レッジョ・カラブリア市)"と音が似ているため誤解されることが時々ありますが、レッチェはプーリア州、イタリアのかかとですからお間違いなく☆ちょっと今さらかもですね。。
それから、往年のイタリア民謡「帰れソレントへ(原題: Torna a Surriento)」をご存知の世代の方にはその舞台ソレントSorrentoと間違えやすいかもしれませんが、あちらはレントではなくレント半島。ティレニア海沿岸のナポリから南下した小さな半島で、風光明媚なアマルフィ海岸があります。

かえってまぎらわしい情報になってしまったかもしれませんね ^^;


さぁーてそれではいよいよ☆レッチェの3大門のひとつ、街の西門にあたる Porta Rudiae(ポルタ・ルディエ)をくぐってレッチェの歴史街区に入ってみることにしましょう♪


(写真左: この人たちもこれからPorta Rudiaeをくぐり、レッチェの街を家族でなかよく散歩するところでしょうか?)
ちなみにPorta Rudiaeとともにレッチェを訪れる人々を出迎えるもう2つの門は、東側の Porta San Biagio(ポルタ・サン・ビアジョ)と北側の Porta Napoli (ポルタ・ナポリ) ですが、これらをあわせた3つの門すべて、街全体がぐるりと石壁で囲まれていたレッチェの街が完成した当初からすでにあったそうです(いずれも後世の16〜17世紀に再建されています)。
Porta San Biagio         Porta Napoli



レッチェの街を訪れたらまずは、優美で華やかなレッチェ=バロック建築の傑作の数々を見逃すわけにはいきません。 街の中心 = 歴史街区(Centro Storico チェントロ・ストリコ)に集まっている教会や宮殿や商館や邸宅など歴史的建造物の多くが、この "レッチェ=バロック様式" によってデザインされています。そこはまるでタイムスリップしたような、非現実的な世界が広がっています。


紀元前3世紀、ローマ帝国に征服されて以降のレッチェの歴史をかけ足でたどってみますと・・・ローマ帝国 → ビザンティン帝国(6世紀半ば〜)→ ノルマン・シチリア王国(11世紀〜)→ ナポリ王国 (13世紀〜) の4時代、1500年以上にわたり東西南北を結ぶ地中海交易の要衝として重要な役割を果たします。
こうして中世までに南イタリアを代表する一大都市としての地位が確立されると16世紀末から17世紀にかけて、レッチェの街では貿易で財をなした貴族や商人たち、あるいは当時絶対的な権力を誇った教会がこぞってバロック様式の建物を建てていくようになります。
(写真左: レッチェ=バロック建築を代表するサンタ・クローチェ大聖堂 Basilica di Santa Croce。1695年に150年かけて完成しました。なんとこのファサードの中には、動植物のレリーフにまぎれて、歴代の設計者4人の顔がこっそりと彫り込まれているんですよ…!どこに隠れているか知りたい人はFracciaに聞いてみてください♪)


街の支配者や権力者による整然とした都市計画があったわけではなく、人々がそれぞれ思い思いに自分の建物を当時流行のバロック様式で飾り栄華を競いあった結果、現在の街並みができあがったという点がおもしろいですねー


いまも中世の石畳がそのまま残っていて、道幅の狭く迷路のような小道が走るレッチェの街全体を舞台としたバロックの迷宮を歩くと、そこには驚きが満ちあふれています。


曲がりくねった路地が複雑に入り組んで見通しがきかないぶん、視界が開けたと思ったら突如として優美なバロック彫刻の建物が目の前に現れる。そういう建物が次々と路地から顔を出してはこちらに迫ってくるかのようです。
昔の人たちが工夫をかさね、路地や通りといった周囲の環境と建物自体がもっとも調和し共鳴するよう、意外性を高める視覚効果や日光の当たり具合までをも計算して作った街並み。
長ーい営みの中で生み出された、まるで街そのものが巨大な劇場であるかのようなこのレッチェの街を、皆さんも観客としてあるいはこの舞台に立つ役者気分で散歩してみてはいかがでしょうか☆


(写真右: 歩いているとやおら姿を現すサンマッテオ教会 Chiesa di San Matteo。こちらはひじょうに珍しく、レッチェ=バロックではなくフィレンツェなど中部イタリアのルネッサンス様式に忠実な作り。正面に見える2本の円柱のうち右の1本だけ、しかもその途中でバロック装飾が未完のままとなっています。「彫刻師のみごとな腕前に嫉妬した悪魔が彼の命を奪った」なんて伝説が残っているそうです〜〜)


意匠を凝らしたファサードを見ていると、「レッチェ=バロック建築は、彫刻や絵画と一体となった総合芸術である」といわれるのもなるほどなぁーとうなずける気がします。
FracciaMacciaのオススメは、建物のディテールに描かれた奇妙な動物やら怪獣や異邦人の姿。細部までよーく見てみてみると、中にはアニメチックなおもしろい顔をしていたり変てこな格好をしたものなどがたくさんあり、その中に自分だけのお気に入りを見つけるっていうのも楽しいですよ♪


(写真右: 今でもどなたか家族が住んでいる一般住居ですが、アンティークな建物はみごとなバロック様式、風変わりな動物たちがバルコニーを支えてます。それぞれ表情や動きが違って、とぼけた顔でワイワイガヤガヤ話しているような、なんとも楽し気な雰囲気です。花や果実のレリーフの流れるような曲線表現も見事です。)
ちょっとした双眼鏡みたいなものがあると彫刻の細部まで見られて便利ですが、怪しい人と思われないよう気をつけてくださいね!^^


これらの建物たち、つまり街全体が前回ご紹介したPietra leccese (レッチェ特産の石灰岩)で建てられているわけですが、この乳白色の石材は細かい彫刻など加工に適してるだけでなく、じつは建物のさまざまな表情を演出するのにも一役買っています。
(写真左: レッチェから約10km離れたアドリア海沿いにはこんな白い岩肌もあちこちに見られます。石灰岩だらけですね。)


まばゆい金色の朝焼け 〜 昼間の燦々とした白い日差し 〜 優しくも鮮やかなオレンジ色の夕焼け 〜 穏やかに暮れていく黄昏・・・と一日を通して色々な光を浴びることによって、この街はさまざまな色合いで表情を劇的に変化させていくのです。
FracciaMacciaのお気に入りは夕日が沈む直前、優しいオレンジ色に染まったレッチェ石の街並みを眺めながら歩くと心がなごみます。。


さらに日没後も、レッチェ=バロック建築物のライトアップが毎晩遅くまで行われており、星空の下に照らし出されたその姿もまた別の印象を醸し出しています。レッチェの夜の散歩は地元の人にも観光客にもたいへん人気があります。


南イタリアというと治安は大丈夫?と心配される方もいると思いますが、北イタリアの都市と比べてもレッチェの街はかなり安全な方だと思います。なんといっても街の規模自体が小さいですからね。


イタリアでは毎日のように、夕食後に友達と出かけて、街や公園を散歩したり一杯飲んだりしながらおしゃべりを楽しみますが、僕たちもイタリアにいる時には、よく友達とレッチェの街を散歩します。地元の人々や観光客など老若男女が大勢、夜遅くまでのんびり散歩している光景はいかにレッチェが安全な街かを物語っていると思います。


レッチェの街をだいぶ歩きましたね。そろそろお疲れでしょうから今日はココまでにして、ひと休みすることにしましょうか♪
正直いうとMacciaはレッチェの街を訪れる以前は、「バロックってゴテゴテとやたら飾りたててちょっとなぁ」なんて食わず嫌いをしていました。彫刻がじつにリアルで、それでいてコミカルなところ(勝手にそう解釈しているだけかも?^^)が今ではとっても好きです。
だって見ているだけで幸せになったり元気をくれる建物ってすごい力だと思いませんか??


それではまた週末にお会いしましょう^^  Ciaooo!!!!  







★ 次回予告 ★


レッチェの街の見どころはこれだけではありません。次回もまだまだレッチェの散歩が続きます♪ お楽しみにー☆









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