イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/01/31

サレントの郷土料理研究家 Tonio Piceciさん(後編)

Ciao a tutti!  Come va?
現在FracciaMacciaが住んでいるコチラ大阪のまちでは、今日「大阪国際女子マラソン」が行われましたが、あいにく冷たい雨がふってランナーたちも体が冷えて動かず大変そうでした…
しかし早いものでもう1月も終わりですねぇ、なんだか1月は毎年あっという間にすぎる気がします。
まだまだこれから11ヶ月、たっぷりありますからゆっくり♪スロー・イズ・ビューティフル♪でいきましょう^^
さーて全3回にわたってお届けする、南イタリアはサレントの料理研究家 Tonio Piceciさんのシリーズも、いよいよ今回が完結編です。さっそくまいりましょうー☆

Piceciさんはパリのコルドン・ブルーでフランス料理を学ぶところから料理の世界に入り、パリの名店でその腕を磨いたのち、地元レッチェに凱旋。そしてレッチェで暮らすなかで自分のふるさとを見つめ直し、サレント郷土料理の再評価へと目覚めていったのです・・・というところまで前回お話しました。


そんなPIceciさん、じつはサレントの料理を世界中に普及したいという活動の一環で来日したこともあるそうです。東京や大阪に滞在すること数ヶ月間、某有名イタリアンレストランやフレンチレストランで調理やメニュー開発の熱血指導を行ったそうですよ。
サレント料理に対するPiceciさんの情熱とバイタリティー・・・ただただ脱帽するばかりです!

その来日の際にPiceciさんも持ってきたそうですが、FracciaMacciaが大大大好きでどーしても皆さんにもご紹介したい!というサレント特産の調味料があります。
その名を☆ vincotto(ビンコット/ヴィンコット) ☆といい、これはワインを作る過程でうまれる発酵前のブドウジュースをじっくり煮詰めたのち、年月をかけて樽の中で熟成させたものです。黒いアメ色の液体で、甘く芳醇な香りが特徴的です。とにかくもう、その味は他にたとえようがない絶品なんですっ! おっと、ビンコットが好きすぎてついつい力が入りすぎてしまいます(苦笑)

さわやかな甘みと酸味のハーモニーは、ヨーグルトやアイスクリームやスイーツ系から、お肉や魚や野菜のグリル料理や、サラダのドレッシングまでどんな食べ物にも合うので、思わずなんにでも使いたくなってしまうほどに万能なんです。
一般的にイタリア料理でよく使われる他の調味料にはバルサミコ酢などもありますね。バルサミコもぶどうやブドウ酢が原料ですが、それともまた全く異なるビンコットは、サレント料理に欠かせない存在です。
なんといってもビンコットの原料はブドウジュースのみ、その他の調味料や添加物など一切ないのもオススメしたいポイントです。混じりっけのない天然の旨味が活きています。
Macciaの日本の両親や家族も初めて食べた時から大ファンになり、健康にもいいので毎日のようにおいしく食べてます☆
(写真左: こんな感じでフルーツとヨーグルトにかけて食べることが多いですね)

日本でも、ビンコット作りの老舗Calogiuri社のヴィンコットなどが輸入食材を扱う高級スーパーやデパートなどでも最近売られているようですが、結構高いですねぇ  Σ(゚口゚;)//
(写真右: 見てください、コチラのとびきりドロッとしたヴィンコット!サレントに住むお友達のお母さんが作った自家製で、イチジク風味になってます☆これぐらい濃いと、ホットケーキやパンなどにつけたりしても美味しいです。)
日本ほどではないですが、イタリアも国別平均寿命ランキングでいつも4〜7位くらいに入るかなりの長寿国ですから、心身ともに若々しい人たちや元気に自転車やクルマに乗るお年寄りなどがサレントのあちこちで見かけます。ビンコットなど自然食品のおかげも大きいのかなぁーと思いますねぇ。

今回このブログでPiceciさんについて書くにあたり、ご本人とメールでやりとりしながら取材をかさねました。FracciaMacciaからの質問に快く答えてくださったなかで、聞いておきたい3つの質問に対するPiceciさんの答えを、ここでご紹介したいと思います。

Q: 料理家としてのモットーは何ですか?
A: 私の場合サレントですが、ふるさとの土地と料理というのは切っても切り離せない関係であるということ。 そしてもうひとつは、食というのは官能的なものであり、五感を最大限に利かせて楽しむということ。

Q: 料理家として、これからの目標は何ですか?
A: いまこの年齢ですが、まだまだ私の知らない新しいジャンルの料理、たとえば和食などに挑戦して自分自身を試してみたい。

Q: もし今日、世界が終わると言われたとしたら、その最後の食事には何を食べますか?
A: まぐろのお刺身、ビーツ(赤かぶ)の細切りとターメリック風味の焼茄子クリーム添え
 (うーんなんだかすごそうですが、正直どんなソースなのか?味がちょっとイメージできません…^^;)

南イタリアの料理やアイデンティティーを大切にするPiceciさんから「マグロのお刺身」という答えが出てきたのは意外でしたねー!

話はおもいっきり脱線しますが、昨年の国際会議でクロ(本)マグロの漁獲量制限が決定されたり、今年はワシントン条約で絶滅危惧種に大西洋や地中海やクロマグロが加えられるのでは?などという日本の食卓にとって、とても気になるニュースもありましたね。
思えば、毎朝のように築地に届く300kg超級の大きなクロマグロもイタリアを含めた地中海から沢山やってくるんですねー。にもかかわらず、現地の人たちの口にほとんど入ってないとしたら…
(左上: 18世紀のイタリアでのマグロ漁)
(左下: 19世紀のイタリアでのマグロ漁)昔はイタリア人もたくさん食べてたんでしょうねぇ
飽食の時代を経て、遠くない将来に地球規模の食料難がやってくるといわれる今、地中海のクロマグロが回遊する場所から10,000kmも離れた私たち日本人のもとに運ばれ、ほとんど(クロマグロの全消費量のうちなんと80%以上だそうです)が食べられている。しかもその穫り方がとてつもなく早いペースで今後マグロに絶滅のおそれがある・・・という話が本当だとしたら、ちょっと考えなおした方がいいかもしれないですね?
ちなみに、先日仕事で調べものをしててはじめて知ったのですが、イタリアにある和食屋さんや寿司屋さんで食べられる本まぐろは「再輸入」物(つまり、イタリアの海で獲った本マグロがいったん国外に輸出され、冷凍ブロックになって再びイタリアに輸入される…)であるだけでなく、スーパーにならぶツナ缶でさえほとんどが、フィリピンやインドネシアの海で獲れたバチマグロなどを加工したものだそうです。
Piceciさんのようにマグロのおいしさをよくわかっている人はイタリアにも多くいるわけですから、やっぱり地産地消の自然なかたちで、地中海のまぐろが目の前の海で獲れる場所に住むイタリア人の口にも届くようになったらいいなと思います。そのためには日本人がちょっと我慢しなくちゃいけないってことになるんでしょうけどねぇ…^ ^;)  みなさんはどう思いますか?

さーて今回もそろそろ終わりが近づいてきました。Piceciさんの話から大きく脱線してビンコットやマグロについて熱ーく語ってしまいましたが、楽しんでいただけたでしょうか?

Piceciさんを見ていると、人間は情熱を持ち続ければ、本当になんでも成し遂げることができるんだなーという勇気がわいてきます。
皆さんも今日のブログを読んでおなじような勇気を感じていただけると、うれしいです^^


僕たちFracciaMacciaも当ブログ「Cartoline dal Salento」を、情熱を持ってコツコツ続けていきたいなぁと思います☆


それではまた次回、 alla prossima!
Ciaoooo!



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★ 次回予告 ★
次回は「サレントをゆく」と題してお送りする南イタリア紀行の第一弾、レッチェ(Lecce)の街を訪ねてみたいと思います。おたのしみにー☆

2010/01/28

サレントの郷土料理研究家 Tonio Piceciさん(中編)

Ciao a tutti! Come va?
Macciaもようやく長びいていた風邪が治り復活しました、a noi tutto bene!
まだ始まったばかりのブログCartoline dal Salentoですが、毎日たくさんの方に見にきていただいて、応援メッセージも頂いてます。皆さんほんとうにほんとうにありがとうございまーす、grazie a tutti!!!
これからももっと楽しんでいただけるブログ作りに励んでいきたいと思いますっ


さてさて前回から3回にわたってお送りしている、サレント郷土料理研究家 Tonio Piceciさんのシリーズですが、今回はその第2回、中編です☆
ではさっそくいってみましょうー♪あっ、おいしい料理が登場するので空腹状態で読まないことをおすすめします…(笑)


現在サレント料理の第一人者として精力的な活動を続けているPiceciさん。そんな彼がどのようにして料理の世界、特にサレントの料理を深く探求していくに至ったのか?これまでの彼の足跡をたどってみることにしましょう。
Piceciさんはサレント半島の中心都市、プーリア州レッチェ県レッチェ市で1947年に生まれました(今年で63歳ですね)。
もともと料理作りに興味があったそうで(イタリアも日本と同じく、戦後の食糧難の大変な時代に育ったわけですが、あの立派な体格ですから、きっと食べることが大好きだったんでしょうね。食欲だけはMacciaも一緒!^^)、フランスのパリにある名門フランス料理学校 "Le Cordon Bleu"(現在では東京など海外にも分校を多く持つ、とっても有名な学校ですね)へ留学し、フランス料理やワイン(そしてシャンパン)について学んだそうです。
それと同時にイタリアのミラノ大学で政治学も専攻し(仏伊2カ国で二足のわらじとは、ものすごいバイタリティーと努力ですね・・・!)、パリではビストロやワインバーで修行しつつ滞在費を捻出、またときには街頭で即興の詩を書いて売るなんてこともやったそうです。
まさに「〜 若き日のTonio Piceci、花の都パリで青春を謳歌する〜 の巻」といったかんじです。
なるほど、たしかに彼の作る料理には地元サレントの食材を活かしつつ、お皿の盛りつけ方などに洗練されたフランス料理の優雅さが感じられると思ったのですが、そういったフランス料理の基礎があるからなんですねぇ。
(左: スモークサーモンとズッキーニでリングイーネを包んで蒸した一品、Ex.バージン・オリーブオイルベースのソースで味つけ)
そして晴れてLe Cordon Bleuとミラノ大学を卒業すると、「まだまだ料理について学び足りない、もっと学びたい!」という情熱で、パリにあるこれまた有名な、ミシュランガイドで三つ星常連のフレンチレストラン "Lucas Carton"の門を叩き、本格的にシェフとしてのキャリアをスタートさせたのでした。

その後イタリアに帰ると、ローマにある"Le Cordon Bleu・Roma校"に通い、イタリアでフランス料理を教えるための資格を取得します。
そしてようやく故郷サレントはレッチェへと帰ってくると、自らの手で"Le Cordon Bleu・Lecce校"を開校させます。まさに「故郷に錦を飾る」を地でいってますね。
地元で開いたその料理学校、Le Cordon Bleu・Lecce校では、物事を的確に捉えて教えるスタイル、またなにより彼の天性であるユーモアのセンスのおかげで、Piceciさんの授業は学生たちの間でたいへん人気が高かったそうです。
そのかたわら、故郷サレントの伝統料理をあらためて見つめ直そうと、図書館などに通い古い書物を調べながら、サレント伝統料理のレシピや食材の研究をはじめたのもこの頃だったそうです。。☆

そしてついにサレント伝統料理について著した本の第一弾となる、"Oltre le orechiette(オルトゥレ・レ・オレキエッテ)"を出版することになります。

タイトルは、「オレキエッテ以外にも」という意味になります。「オレキエッテ」とは、サレント地方を含めたプーリア州の名物パスタのことで(写真左)イタリア全国でもたいへん有名です。
イタリア語で耳のことをorecchio(オレッキョ)といいますが、つまりオレキエッテというパスタは、まるっこい小さな耳のような形をしたサレントを代表するショートパスタなんです。寝かせたパスタ生地を小さい玉状にちぎりわけ、それを一つ一つ指でひねって成形する…というのがプーリア州でおなじみの「おふくろの手料理」として見られる光景なわけです。

手間のかかる作業なので、今ではオレキエッテを手作りする家庭も減り、ほかのパスタ同様スーパーで買うのが普通になっていますが、Fracciaの実家ではお母さんやおばあちゃんがちょくちょく手仕事でオレキエッテを作るので、FracciaMacciaもこの仕事を手伝うのはとても楽しみな時間です。
オレキエッテの代表的な食べ方はというと、シンプルに茹でたあと、かるく熱したフライパンでアンチョビ菜の花オリーブオイル和えて食べるのがよく合います。なんといってもこれらの食材のすべてがサレント産の新鮮な地物ですから、それはもうたまらないおいしさです。
←「Orecchiette alle cime di rapa」プーリアの人たちに愛される一品。
あーーっこうして書いているだけでヨダレが…ゴクッ!^^;)

このPiceciさんの処女作はつまり「サレントにはオレキエッテ以外にも美味しいものがまだまだたくさんあるんだ」ということを世の中に知らしめるため、数々のサレント料理の紹介(なんとレシピだけでも200以上)を主題としつつ、同時にサレントの人々やその生活についても深い洞察と愛情を感じさせる名著だったのであります。
(残念ながらイタリア語のみの出版…)
これがベストセラーとなり一躍有名になったPiceciさん、地元レッチェでようやく初めて「自分のレストラン」を開くことになります。
自身のルーツであるサレントの食文化を見つめ直したことが、人生の転機を迎える大きなきっかけとなったんですね。

そして厨房に立ちレストラン業をするかたわら、さらに2冊の本を、それぞれサレントのパスタとサレントのワインをテーマに次々と執筆します。
さらには地元の新聞や専門雑誌にも自分のコーナーを持ち、料理について寄稿するなど本当に情熱に火がついたらとまらないPiceciさん、すごいですねー☆

現在はレストランを息子さんが継いで、自身はLe Cordon Bleu・Lecce校とは別に開いた新たな料理学校 "Accademia Lupiensis" を舞台に、日々料理研究をしながら、地元の人たちに料理を教えています。
(左: リコッタチーズボールのトマトソース煮込み)
Piceciさん、日本の皆さんにもぜひ南イタリア料理を学びにきてほしいと常々おっしゃっていますから、いつか皆さんとともに「南イタリア・サレント料理を食べたり作りながら学ぶツアー!」なんて企画してみたいなぁと僕たちも夢がふくらみます^^

Piceciさんは「Salento in Bocca(サレント・イン・ボッカ)="口の中のサレント"の意」という月刊料理雑誌も発行しているのですが、これがじつにおもしろい!
彼のオリジナルレシピが惜しげもなく紹介されているのはもちろん、毎回、地元サレント出身の財界やスポーツ界あるいは映画監督などの名士たちがプライベートの料理の腕を披露したり、食についてPiceciさんと対談するなどとても興味深い内容です。


当ブログCartoline dal Salentoでは、Piceciさんオススメの南イタリア料理、とくにサレントの家庭料理やおもてなし料理のレシピをこれからドンドン紹介していきたいなと思ってます。
Piceciさん直伝のレシピですから、皆さんこちらも楽しみにしててくださいねー♪(月1回くらいのペース?の予定で考えています。)

さーて今回もそろそろ終わりが近づいてきました、いかがでしたか?おなかが空いちゃった人はいませんかー?^^
皆さんにとっての「ふるさとの味」あるいは「おふくろの味」といえば何ですか?なんてのもすごく興味がありますねぇ☆ 

それではまた次回、a prestissimo!!


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★ 次回予告 ★
いよいよ次回は、サレントの料理家Tonio Piceciさんをご紹介するシリーズの完結編です。お楽しみに!

2010/01/24

サレントの郷土料理研究家 Tonio Piceciさん(前編)

Ciao a tutti!
プーリア州の食材や料理は、これもイタリア国内外で一定の評価を受けてきましたが、とりわけここ数年は、高い注目を浴びるようになってきています。
その波は日本にもやってきつつあるなと私たちFracciaMacciaも感じていて、東京・汐留にある「Shiodomeitalia・クリエイティブセンター」でプーリア州物産品展が何度も開かれたり、毎年3月に千葉・幕張で催される世界最大規模の食品展示会「Foodex」でも、プーリア州物産品の出展が増えたりしています。
サレントっ子のFracciaとサレント応援団のMacciaとしては「おっ!波がきているなぁ」と、なんともうれしいかぎりです^^

プーリア州名産品のうち、とりわけ豊かな太陽に育まれた野菜やフルーツ(ワインも!)のおいしさはイタリア国内でも随一ですが、それに加えて近年高まっているへルシー志向に加え、「地産地消」や「スローフード」や「アグリツーリズム=自然調和」といった考え方やライフスタイルにサレントの食文化が合っていることも人気の理由ではないかな?と思います。
ヨーロッパ発祥のアグリツーリズムですが、イタリア語でagriturismo(アグリツーリズモ / アグリツーリスモ)といい、ここから日本語でアグリツーリズムと言われるようになったんですね。
そしてアグリツーリズモの盛んなプーリア州内でもとくにサレントは郷土料理も特徴的で、ひと際目立った存在なんですよ☆農場ステイ以外にも、魚釣りの好きな人のために漁業体験のpescaturismo(ペスカツーリズモ / ペスカツーリスモ)なんてのもあるそうです。


そのサレント地方の伝統料理を語るうえで欠かせないのが、ジャーーーーーーーン!
サレント食文化の第一人者で料理研究家の、Tonio Piceci(トニオ・ピチェチ)さんです♪ パチパチパチ〜☆

Piceciさんと僕たちの出会いはといいますと、まだまだ残暑きびしく毎日海へ泳ぎにいっていた2008年の9月に、FracciaMacciaは、Lecce郊外にあるRoca nuovaという小さな村で結婚式を挙げ、そのあと場所を移してSternatiaというこれまた小さな村にある「Griko'」というホテル/レストランで披露宴を開いたんです。
Fracciaのお父さんとGriko'のオーナーAntonioさんが子どもの頃からの友人というご縁で、Griko'で披露宴を開かせていただいたのですが、そこでオーナーのAntonioさんが腕のいい自分のレストランのシェフ達を差しおいてまで、「特別な席で特別なお料理を作るにふさわしいシェフを」と紹介してくださったのがPiceciさんだったのです☆


ですから僕たちFracciaMacciaふたりにとって彼は特別な意味をもったシェフになったんですねー^^
(右: 披露宴の途中、レストランの中庭でPiceciさんと記念撮影♪)
結婚式については、また別の機会にたっぷりとご紹介したいと思いますのでお楽しみに! ^^☆
しかしどうですか?この堂々としたおヒゲと体格のPiceciさん、まさに「シェフ」といった感じですよねぇ!サンタクロースではありませんよ?(笑)
そしてこちらが披露宴を開いたホテル/レストラン「Griko'(グリコ)」です♪ Lecce市中心部から車で約20分、四方をオリーブの樹に囲まれた小高い丘の上、とても静かな環境にあります。
「田園滞在型ホテル兼レストラン」といったらいいのかな?満足度100%まちがいなし、オススメです!
2階にはゆったりとした宿泊部屋が10部屋、シンプルながらも可愛らしい調度品に囲まれとてもリラックスできます。とくに朝早い時間や夕暮れどき、息をのむように美しい窓からの見晴らしにも癒されます・・・^^


披露宴のためのメニューを決めるため、日本で仕事のMacciaを残してFracciaは家族と一緒に結婚式前に何度か打ち合わせをかねてPiceciさんの料理を食べたのですが、ひょうきんな彼の周りは常に笑いがたえず、またその一方とっても情熱的な料理家で、料理のこととなると一切妥協を許さない厳しい面も持ち合わせているという印象だったそうです。
ご自分のアイデンティティーでもあるサレントの食文化に強い誇りを持ち、Fracciaがsecondo(セコンド=「メインディッシュ」)はお肉料理だけでもいいんじゃないかなー?と当初考えていたところ、「結婚式の料理では、伝統的なしきたりとして、肉料理と魚料理の両方をセコンドで出さなければ」というPiceciさんの強い説得があり、結果的にお肉もお魚も両方メインディッシュとして出すことになったのですが、伝統を守ることを大切にするPiceciさんらしいエピソードです。
結果的にゲストのみなさんにも楽しんでいただけたので、FracciaMacciaとしても本当によかったなーと満足しています♪
しかしPiceciさんはサレントの伝統料理をただそのままの形で守るにとどまらず、彼の作る料理には、いつも彼独自のオリジナリティーを感じさせる”新しいなにか”が加えられており、そこにこそ情熱的で芸術家ともいうべきPiceciさんの真髄が表れているのかもしれません。
(左: Piceciさん本人お気に入りの自画イラスト)
現在は彼自身のレストランを持たず、前述のホテルGriko'などのレストランに招待されると腕を振るうこともあるそうですが、食材へのこだわりも非常に強く、Griko'のオーナーAntonioさんによれば、「来週Piceciさんが来るぞーッ!」となると毎回厨房中が色めき立って緊張感もグーンと高まるそうです。
オーケストラの指揮者か、はたまた往年のイタリア映画監督か、Piceciさんもそういった芸術家肌なところがあるのでしょうね〜。


ここでちょっと話が脱線しますが、Piceciさんと切っても切り離せないサレント料理についてもちょっとだけ見てみることにしましょう☆

その特徴をひとことでいうならば「素材そのものの味を活かす」ということになるでしょう。そして数あるうちで、あえて主役となる食材をひとつ挙げるとしたら「太陽に育てられた野菜たち」だと思います。とにかくサレントの野菜は本当に味がこくて、凝縮された甘みや香りがすごいんです!
サレント産の代表的な野菜としては、トマト・ナス・ズッキーニ・菜の花・アーティチョーク・パプリカ・フェンネル(茴香、イタリア語でフィノッキョ)・セージ(サルビアの葉)などがあります。
イタリア語でいうと・・・♪
トマト = pomodori(ポモドーリ)
ナス = melanzane(メランツァーネ)
ズッキーニ = zucchine(ズッキーネ)
菜の花 = rape(ラペ)
アーティチョーク = carciofi(カルチョーフィ)
パプリカ = peperoni(ペペローニ)
フェンネル = finocchi(フィノッキ)
セージ(サルビア)の葉 = foglie di salvia(フォィエ・ディ・サゥヴィア) 
※上の名前はぜんぶ、一般的で使いやすい「複数形」にしました♪

とはいえもちろん、東のアドリア海(Mar Adriatico)、西のイオニア海(Mar Ionio)でとれる海の幸、アサリ・赤貝・ムール貝といった貝類やウニ、そして魚はカジキマグロのカルパッチョやイカのフライも絶品ですし、肉本来の旨味がしっかりと味わえて脂身が控えめの赤身が特徴的なサレントの牛肉などもまったくひけをとりません。
(左: ヨーロッパでは珍しく、サレントでは魚介類を生で食します。レモン汁をたっぷりかけて。)
(左: サレントのウニ。日本のものより身は小ぶりですが味は甘みが強くおいしい!)
殻を開いた状態で、スプーンですくってそのまま食べてもよしパンにつけてもよし、茹でたパスタにふんだんにからめたウニのクリームスパゲッティーも絶品です。
(左: エビとムール貝のスパゲッティをフライパンで仕上げているところ。"Spaghetti al profumo di mare"、その名もズバリ『海の香りのスパゲッティー』)
アサリ = vongole(ヴォンゴレ)
ムール貝 = cozze(コッツェ)
ウニ = ricci di mare(リッチ・ディ・マーレ)
カジキマグロ = pesce spada(ペッシェ・スパーダ、"剣の魚"の意)
  イカ = seppia(セッピャ)とcalamaro(カラマーロ)。体型によって呼び方が2つあるとは(スリムな方がcalamaro)、おもしろいですねぇ。


そしてそれらを楽しむうえで欠かせないのがオリーブオイルと赤ワイン。オリーブオイルはイタリア全体の50%超がサレントを含めたプーリア州で生産され、赤・黒・緑などなど種類も豊富です。またイタリアを代表するサレントの赤ワインは、Salice Salentino(サリーチェ・サレンティーノ)など「黒ワイン」と呼ばれるほどに濃い赤が特徴(老化防止で注目のポリフェノールの一種 = タンニンの含有量がきわめて高いのだそう)です。生産量や品質の面からも、サレントは「イタリアのぶどう畑」といって過言ではありません。


  
これらの食材を活かしたサレント料理は、「おふくろの味」ならぬ「マンマの味」の影響をイタリア各地の郷土料理の中でも最も強く残している、あったかーい料理なんです♪


さてさて話がさらに脱線しますが、サレントの大地はプランクトンや海中の有機物が堆積してつくられた石灰岩でつくられており、じつは水源となる山も川もありません。なのでもともとは生き物たちが生きていくには過酷な土地だったろうと思います。しかし水はけの良い石灰岩の上に肥沃な土壌が積もり、また雨水を地下に貯めて利用する先人の知恵のおかげで、またなにより太陽と美味しい空気のおかげで豊かな実りがあるんですね。


さーて今回はサレント料理研究家のTonio Piceciさんを紹介する3回シリーズの前編としてお送りしましたが、そろそろ終わりが近づいてきました。ちょっと脱線してサレント料理の特徴やその食材などについて書いてみましたが、いかがでしたか?
みなさんからのコメントやご質問もお待ちしております♪
次回はいよいよ、Piceciさんがいかにして料理の道を歩み、サレント料理について深く探求することになったのか?について迫っていきたいと思います!

それではみなさん、今週も楽しく一週間を過ごしましょう♪
Buona settimana a tutti!  Ciaoooooooo!


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★ 次回予告 ★
サレント料理研究の第一人者、TonioPiceciさんを紹介する3回シリーズの第2弾。
Piceciさんの若き日の足跡をたどってみたいと思います。おいしい料理や食材も登場しますよ!お楽しみにー☆

2010/01/21

イタリアの伝統行事「Befana」(後編)

みなさんCiao! Come state?お元気ですか?




昨日は暦の上で大寒だというのに15°以上と異常な暖かさでしたね、今日もあったかいようで…
寒暖の差が激しいですから、みなさん体調管理に気をつけくださいね!かく言うMacciaは先週からズルズルと風邪が長びいてまして…
風邪はイタリア語でraffreddore(ラフレッドーレ)といいます。面白いのは、この名詞の中にfreddo(フレッド=「寒い・冷たい」の意)という単語がかくれてます。風邪をひくと熱が出て体温が実際には上昇しますが、日本語でも「悪寒」というように、やっぱり感覚としては寒気を感じますもんね?
ついでにfreddoと反対に「暑い・熱い」はイタリア語でCaldo(カルド、発音はカゥドにより近く)といいます。
夏にサレントへ行くと、燦々と照りつける太陽の下、青い海でもどこでもよくこのCaldoというのを耳にすることになります^^


さてさて今回は、前回ご紹介した「Befana(ベファーナ)」の後編をお届けしたいと思います☆
前回もチラッと登場しましたが、子どもたちとともにこの日(1月6日)の主役となるのは、やはりBefana、魔法使いのおばあさんです。
1月6日や、この行事そのものをBefanaとよびますが、主役の魔法使いのおばあさんの名前がBefanaです。


このBefanaばあさん、クリスマスのサンタクロースと比較すると非常に興味深いキャラクターなんです。
あ、ちなみにサンタクロースはイタリア語でBabbo Natale(バッボ・ナターレ)といいます。
Babbo = お父さん(" papa` "の古い言い回し)
Natale = クリスマス
「クリスマス父さん」とはこれまたずいぶんとストレートな表現です☆(笑)



Befanaは、みにくいおばあさんの姿をしていて、ほうきに乗って空を飛び、煙突と暖炉から家に入ることができます。
まさに典型的な魔女のイメージです、子どもたちにとってはさぞかし恐ろしいことでしょう。


たとえばイタリア語で「befana」という単語は一般名詞として、「醜い女性」を指します。
イタリア人の女性にまかり間違っても”Sei una befana.”なんて言わないように気をつけてくださいね(笑)
sei = essere(be動詞)の二人称現在形(文法アレルギーの方がいたら、スミマセン!)


子どもたちにプレゼントを届けるため家の煙突から入るというあたりなどサンタクロースと行動パターンが思い切りかぶってますが、一方のサンタクロースが子どもにも大人にも愛されるキャラクターなのにたいし、Befanaは一見すると、とても人気が出そうなキャラにはみえません。
それでも何世紀にもわたって人気があるんだから不思議だなぁー。


しかし、思えば日本にも秋田の「なまはげ」なんていう子どもにとってこわーい伝統行事&キャラがありますね。きっと古今東西を問わず親たちは、子どもをしつけるうえで「ちょっと強引で得体の知れない怖さを持った何者か」の力を借ると便利(?)なのかもしれません。
皆さんはどう思いますか?
とにかくベファーナはその点、いい子にしているとちゃんとご褒美までくれるわけですからずいぶんと優しいものです、怖いばかりじゃないんですね。


話が脱線しますが、Macciaは子どもの頃、遊びに行って約束の時間までに帰ってこなかった時には、「外の子になってしまいなさい!」と家に入れてもらえないのが怖くてしかたがありませんでした。「ソトの子」の「ソト」って漠然としてますが想像してみてください、なんとなく怖いでしょー?(笑)皆さんもそんな記憶ありますか?


さてさて話を戻しますが、そんな怖いイメージと優しい顔をあわせ持つBefanaですから、なんだかぜんぜん憎めないんですね。イタリアにはBefanaのための童謡だってあります。
♪♪♪
La befana vien di notte (ベファーナは夜にやってくる)
Con le scarpe tutte rotte(ボロボロの靴を履いて)
Col vestito alla romana (ローマ風の服を着て)
Viva, viva la befana! (ばんざい、ばんざいベファーナ!)
♪♪♪
(音声をお届けできず残念…)
もうここまでくると、Babbo Nataleにもひけをとらない国民的人気者です。
親しみがわいてきます。
なぜローマ風の装いなのかはこの童謡をずっと歌ってきたFracciaもよく分かりません。やはりローマ時代の祭りに起源を持つからなのかな?


キリスト教の祭りとそれ以前の土着の伝承や習慣などが混ざって今日まで続いてきた行事という点では、アングロサクソン系やケルト系の土着の慣習とキリスト教のお祭りがまざって始まったというハロウィーンにどこか似た成り立ちを感じさせます。



昨年のBefanaをLecceで過ごした私たちは、家族や友人が集まってのお昼ご飯のためにこんなものを作ってみたんです。
日本から持っていった割り箸を削り、古い暖炉用の手ほうきの穂先をカットして作った小型の「魔女の空飛ぶほうき」です。
集まる人数が多いので、家族や友人が集まって食事をする時にはテーブルに、各自の名前の書いてあるこういう小さな飾付けを置いておくのですが、クリスマスやBefanaなどイベントごとに作るこういう飾りつけ作りも楽しみのひとつです。




イタリアで「クリスマス」というと、その期間はだいたい1224日のクリスマスイブから年末年始も含めてこのBefanaがある1月6日までの期間のことを指します。この間の約2週間がずっとクリスマスだという感覚なんですね。
そしてBefanaが終わるとクリスマスも終わり、また日常生活が始まるなー今年も頑張るぞといった感覚のようです。多くの学校もBefanaが過ぎると授業が再開されます。
そして各家庭でも、クリスマスツリーはじめとする飾りつけをそろそろ片づけるというタイミングです。


ちなみにクリスマスイブはイタリア語でVigilia di Natale(ヴィジリア・ディ・ナターレ)といいます。たんにVigilia(ヴィジリア)だけで使うことも多いです。


さぁて、今回も終わりが近づいてきました。イタリアのお正月イベント第2弾ということでBefanaをテーマに前後編の2回にわたって書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?ちょっと今回は写真が少なかったかなー?


ハロウィーンは最近日本でだんだんと広まっているように感じますが、Befanaはお正月と時期がかぶっているし、まず日本で広まることはないだろうなぁなんて思いつつ、FracciaMacciaの家では今年もBefanaの朝には、お菓子がぎゅうぎゅう詰めの靴下がぶらさがりました^^


それでは皆さんまた、a presto!(ア・プレスト=また早くお会いしましょう!)

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★ 次回予告 ★
次回はイタリア料理界の奇才、地元Lecce出身でサレント郷土料理とモダン料理のフュージョンを試みる料理研究家、Tonio Piceciさんについて書いてみたいと思います。お楽しみに!


2010/01/17

イタリアの伝統行事「Befana」(前編)



Ciao a tutti! みなさんこんにちは☆

前回はイタリアの新年「Capodanno」の過ごし方をご紹介しましたが、今回はイタリアのお正月のもう一つのお楽しみである
Befana(ベファーナ)」について、前後編の2回にわけてご紹介したいと思います♪


Befanaとは魔法使いのおばあさんのことで、クリスマスのプレゼントを運んでくるサンタクロースの向こうをはる、国民的人気者です。
毎年15日の夜中に子どもたちにお菓子などプレゼントを運んできてくれるんです。そしてあくる6日の朝、子どもたちが起きてプレゼントを開ける!というお楽しみイベントなわけです。


プレゼントといってもサンタクロースのクリスマスプレゼントに比べると、Befanaのおばあさんが持ってきてくれるのは、おもにチョコレートなどのお菓子とやや控えめなんですが、大きくて長い靴下いっぱいにプレゼントがぎゅうぎゅう詰めにされたその様子はなんとも幸せな気持ちにさせてくれます^^



イタリアでは一戸建てばかりでなくマンションなど集合住宅でも各家庭に暖炉が設置してあるところが多いので、16日のBefanaの朝には、このお菓子でパンパンにふくらんだ靴下が暖炉前にぶら下げられて、子どもたちがワイワイ言いながらそれぞれの靴下の中身を確かめるというのがイタリアの家庭でよく見られる光景です。
この写真はLecceにあるFracciaの実家の暖炉に並んだ靴下やプレゼントの様子です。

靴下の中身ですが、それまでの一年のあいだ良い子だったならばチョコやキャンディーがいっぱい☆しかしあまり良い子にしてなかった子供の靴下の中は…炭のかけらが!!ということも時々あるそうですが、僕たちは今まで一度も炭をもらった子には会ったことがありません。いい子ばっかりです^^
しかし怖いですねー、きっとどこかでBefanaのおばあさんが見てるんですよぉー(笑)
クリスマスプレゼントほどではないですが、大人もまざってお菓子以外にもちょっとしたプレゼントの交換が家族同士でされたりもします。
それからBefanaの日に他のどういうイベントが行われるかというと…とくにはありません() そう、なんとなくお菓子やプレゼントがもらえてしまう、ただただみんながラッキーでハッピーになれる、そんな日なのであります☆



しかしとにかくことあるごとに家族や友人と集まるイタリア人のこと、Befanaの日も家族や友人と集い食事をするのが習わしです。


これは私たちFracciaMacciaが去年のBefanaをサレントの家族と過ごした際に、おばさんのSilvanaが作ったケーキです、かわいいでしょう?
ピスタチオの黄緑のクツシタをかたどったケーキの上の方にはBefanaがまたがって空を飛ぶほうき、そして下のかかとあたりには炭を連想させるチョコレートのデコレーションが見えますね。
「Viva la Befana(ビバ・ラ・ベファーナ)=ベファーナばあさんバンザイ」 と書いてあるのがわかりますか?
Silvanaおばさんは料理もお菓子も作るのがとても上手なので、今度はなにを作ってくれるのかな?とみんながいつも楽しみにしているんです。




ところで、Befanaというのはヨーロッパの中でもイタリア独特の行事で、ちょっと珍しいもののようなんです。しかも1月6日というのはなんとも中途半端な感じがします。それにまたなぜ魔法使いのおばあさんが主役に?!いったい起源はなんだったのか?ご一緒にひも解いていってみましょう。







そもそもこのBefanaという行事は、もともと「Epifania(エピファニーア)=御公現祭(?)」といい、クリスマスに行われるキリスト教の行事の一部だったそうです。
どういうストーリーかといいますと…
イエスキリストが誕生した夜(つまり1224日のクリスマスイブ)空にひと際明るく輝く1つの星が地上の一点を明るく照らしているのを見た「東方の3博士」(イタリアでは「3人の魔法使い」とも呼ばれるそうです)たちは、救世主の誕生だと悟り、その星をたよりにお祝いのプレゼントを持ってイエスキリストのもとへと向かうわけなんですが、旅すること12日目、3博士がようやく赤ん坊のイエスキリストのもとへ到着したのが15日の夜だったということにまつわるのだそうです。
なるほど、それで今でも子どもたちが主役でプレゼントをもらうってワケなんですねー!



その様子を表したルネッサンス期の名画をご参考までに…


「Adorazione dei Magi(東方三博士の来訪)」1487年
Domenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)作
フィレンツェ・ウフィッツィ美術館所蔵


余談ですが、このギルランダイオという画家は、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロの最初の師匠だった人として有名です。
おもに聖書からテーマをとった宗教画が多いのですが、そこに描かれ登場するのは当時フィレンツェの街に生きていた人々のいきいきとした生身の姿で、むしろ世俗的なルネッサンスを表現しているといわれています。




現在でこそクリスマスの方が圧倒的に大きな行事となっていますが、伝統としてはBefanaの方がずっと古く、というのも先に書いたキリスト教のストーリーからだけ始まったというわけでもなさそうで、古代ギリシャ神話に大きく影響を受けた古代ローマ帝国時代のお祭りの慣習から生まれたという説もあるそうです。


実際ほんの半世紀前まで、Fracciaのお父さんやお母さんが子どもの頃には、Befanaの時しかプレゼントをもらうという習慣はなかったそうなんですよ。それほど最近までクリスマスプレゼントという習慣がなかったなんて驚きですねー、いまでは世界中で当たり前のようになっているのに。
イタリアの人たちによると、「これもアメリカ資本主義の影響だ」なんて言ってます(苦笑)


さーてそろそろ「Befana」の前編も終わりに近づいてきましたが、いかがでしたか?
今回も不思議発見していただけたでしょうか?まだまだBefana後編につづきますよー♪


それでは皆さんまた、ciaoooooooooo!!




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★ 次回予告 ★
次回の「Befana」(後編)では、主役がいよいよ登場☆ ふしぎなキャラ"Befanaおばあさん"に迫ってみたいと思います、お楽しみに!

2010/01/14

イタリアのお正月「Capodanno」

みなさん初めまして!FracciaMacciaです。今日からブログスタート、二人ともとってもワクワクしています♪
そして2010年明けましておめでとうございます、皆さん今年の目標や願いごとなど決めてますか?
イタリア語をマスターしたい方、イタリア旅行を企画されている方、イタリア料理を上手になりたい方などなど
皆さんそれぞれの夢や目標に向かってすばらしい一年となりますように!


さていよいよ記念すべき第1回のブログトピックですが(コーフンしています!!)、、、、、ジャーーーーン!
『イタリアのお正月』について書いてみたいと思います☆

イタリアは伝統的にキリスト教(カトリック)の国ですからやはりお正月よりもクリスマスの方が断然大きなイベントではあります。
クリスマスについてはまた機会を改めてたっぷりとご紹介したいと思いますが、とりあえず今回のテーマはお正月ということで、
まずはイタリア語でお正月のことを「Capodanno(カポダンノ)」といいます。


これを分解すると、
Capo = あたま
d =
anno =
よって合わせて「年の初め=お正月」ということになります。



イタリアでも11日は国の定める祝日となっています。
クリスマスはほぼ100%と言っていいくらいほとんどのイタリア人が家族で過ごすのにたいし、1231日の大晦日は友人たちとカウントダウンパーティーをしたりする人も多いです。


街に繰り出し散歩する家族連れや若者のグループも多く見られます。どの街もだいたいクリスマスのイルミネーションやデコレーションのままです。

これはけっしてサボっているわけではなく、イタリア人にとって、クリスマスは年が明けてもまだ続いている感覚なんですね。
そのあたりの感覚は、お正月のある日本人とはクリスマスの扱いが全然違うんだなぁと感じるところです。


ちなみにこの写真は、2009年1月に撮影した、Lecce(レッチェ)市の中心にあるPiazza Sant Oronzoのお正月三が日中の夜の様子です。


郊外のちょっとした空き地や公園では、家族単位で、あるいは友人たちと共同で小規模な打ち上げ花火を上げたり爆竹をやる人たちもいます。空気の澄んだ冬の空に上がる花火というのもいちだんと強く光を放ち、なかなかのものです。



そして日付が変わり新しい年になると、家族や友人が入り乱れて抱擁とキスの嵐です。
みな口々に「Auguri!(アウグーリ)」や「Buon anno!(ブオナンノ)」や「Felice anno nuovo!(フェリーチェ・アンノ・ヌオーヴォ)」と
歓声を上げながら、Spumante(スプマンテ=イタリアのスパークリングワイン)の栓がポンッと勢いよく開けられます。

Auguri = おめでとう(色々な場面のおめでとうに使える便利な言葉ですね)
Buon = 良い 
Felice = ハッピー
Anno =
Nuovo = 新しい
つまり「Felice anno nuovo」は合わせて「ハッピー・ニュー・イヤー=新年あけましておめでとう」ということになります(これはクリスマスカードなどに用いられる表現で、AuguriやBuon annoに比べるとあまり口語的ではありませんが、もちろん声に出して言ってもそんなにおかしくはありませんよ)。

私たちFracciaMaccia2005年と2009年にふたり一緒にLecce(レッチェ)にあるFracciaの地元で新年を迎えました。
サレント半島は長靴の形をしたイタリアのかかと、南東端にあります。イタリア東端の町もここサレントにあり、Otranto(オートラント)といいます。つまりこのOtrantoは、イタリアで一番最初に日の出を観ることができる場所というわけです☆

2005年のLecceでの年越しの際は、「所変われど元日にはやっぱり初日の出を観たい!」ということでサレント半島の東側、ギリシャとの間にひろがるアドリア海を望む港町Otrantoへ初日の出を観にいきました。Lecceからオリーブの森が広がる大地を車で行くこと30分、ちょうどいい近場のドライブに行く距離です。



初日の出が観たいなんて典型的な日本人の発想だけかと思いきや、イタリアでも初日の出を見るためにこの東端の町Otrantoへやって来る人たちも結構いるそうです。やっぱり同じ人間、きれいだなーとかすごいなーと感じる感性や自然や景色を愛でる気持ちは共通するものなんですねー。


その時の初日の出の写真が見つからなかったので、同じポイントから撮影した夏の夕暮れ時の写真を載せておきます、あしからず(苦笑)立派なお城が海に突き出しています。そして向こうの水平線に太陽が昇ります。ぜひこの地をご自身で訪れてご自分の目で日の出を見るという楽しみをとっておいてください。




Otrantoはもともと古代ギリシャの影響を受けてできた起源をもち、ローマ時代やビザンチン帝国時代を通して地中海交通の要衝にあった港町で、サレント半島でも個性を放つ観光客に人気の街です。ぜひ近々ほかの機会に、Otrantoについても書いてみたいと思うのでご期待ください。











Otrantoのお城から港を望む。海沿いにはおいしいシーフードのレストランやかわいいおみやげ屋さんが並んでいます。
夏のあいだは広場で毎晩のように夜空の下で野外コンサートが開かれます。




ところで1月1日はイタリアでも祝日と書きましたが、実のところ1月2日と3日の3日間は日本と同様にお休みの人も中にはいるようです。
とはいえ銀行員などさまざまな職業で1月2日以降は当たり前のように通常業務だという人も日本に比べるとずいぶん多く、そちらの方が主流のように感じます。
「お正月三が日」といった考え方がないですから当然かもしれませんね。話は脱線しますが、日本ではスーパーや百貨店など小売業を中心に、大晦日まで営業してまた元日から営業というところが以前に比べて増えている気がします。消費者の立場からすれば便利といえば便利でしょうけど…



なにかにつけて家族や友人と大勢で集い食事をするイタリア人ですから、もちろん元日は集まってお昼ご飯をゆっくりと食べます。
初詣などはありませんが、とにかくみんなで賑やかに食事をする、それがイタリアの典型的なお正月の過ごし方でしょう。


ちなみに左の写真は、Fracciaの実家でのお正月ランチの準備風景です。毎年おばあちゃんやいとこなど親戚が大勢集まります。 奥に見える暖炉にも火が入りとても暖かそうです^^


日本のおせち料理のような、伝統料理というものはこれといってありませんが、ひとつ特徴的な伝統のお菓子がサレントにあります。



Pesce di pasta di Mandorle(ペッシェ・ディ・パスタ・ディ・マンドルレ=『アーモンド生地の魚』の意)という、アーモンドの粉と砂糖とコーヒーで魚をかたどったお菓子です。魚のおなかの中はチョコレートクリームだったり、ジャムだったり好みの味付けがされています。あるいはリキュールを混ぜて大人向けにするなど、各家庭によってお母さんのレシピがあります。


クリスマスからお正月にかけて、南イタリアではアーモンドの粉を使ったお菓子がよく食されるのですが、魚の形にしたケーキはプーリア州、とりわけサレント独特のものです。
甘党のFracciaにとっては大好物ですが、どちらかというと辛党のMacciaにはやや甘すぎかなぁ?


それにしてもなぜ魚の形なのか?あちこちでイタリア人に聞いても一様に首をかしげるばかり。イタリアの魚型ケーキ、不思議ですねぇ。どなたか詳しい方がいたら教えてください(^ ^;
日本ではおめでたい席などで本物のさかな=鯛の尾頭つきや、お正月の新巻鮭などが登場しますが、ここイタリアでも魚つながり。なんだか不思議な共通点を見つけた感じです。
同じく魚の形をした甘味という意味では、むしろ「たい焼き」の遠い親戚といった方がいいかもしれません。いやはや不思議ですねぇ。おもしろいですねー。

さぁそろそろブログ「Cartoline dal Salento」の記念すべき第1回も終わりが近づいてきましたが、いかがでしたでしょうか?
初回なのでちょっと長く書きすぎてしまったかな?(汗)
皆さんに楽しんでいただきながらサレントの魅力をお伝えできるよう、これから精進していきたいと思います。
皆さんからのリクエストや感想やご質問などぜひお待ちしていますので、ドシドシよろしくお願いしまーす!

それでは皆さんにとって2010年がすばらしい一年となりますように☆
Felice anno nuovo!!!




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☆次回予告☆
イタリアの新年の伝統イベント第2弾「Befana」です。お楽しみに!