イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/02/14

バロック建築の迷宮 レッチェ Lecce (その4)

Buon San Valentino a tutti!!
今日は2月14日、バレンタインデーですね♪  バンク―バーでは冬季オリンピック、朝早くからFracciaMacciaもテレビの前でドキドキしながら応援しています。




南イタリア紀行「サレントをゆく」シリーズで訪れているレッチェの街も今回で4回目です。レッチェ=バロック建築のほかにも、レッチェの街にはまだまだ見どころがたくさんありますから、今回もさっそく散歩へ出かけてみましょう!
☆
☆
☆
ローマ時代の円形闘技場、Anfiteatro Romano(アンフィテアトロ・ロマーノ)は、街の中心サントロンツォ広場(Piazza Sant'Oronzo 聖オロンツォ広場)にあります。
ローマのコロッセオほどの規模ではないですし、半分は地中に姿を隠したままですが、それでもなかなかの大きさと迫力があります。2000年ちかく昔にここで剣闘士の競技が行われていたんですねぇー。当時のレッチェの街の隆盛と人々の活気を感じさせてくれます。
(写真左: 同じ古代ローマ円形闘技場の夜景。レッチェの闘技場は今でも演劇などのイベントで使われている現役です。  もちろん、映画「グラディエーター」のような剣闘はやってませんけど ^ ^;)
この闘技場からすぐそばには、同じく古代ローマの劇場、Teatro Romano(テアトロ・ロマーノ)の遺跡もあります。

ちなみに、このサントロンツォ広場にあるもう一つのモニュメント、ドーンと円柱が立っていますね?この高さ25mの円柱、じつはもともとブリンディシ市 (Brindisi) にあったアッピア街道の終点を示す一対の碑の片割れなんです。正式には "La Colonna di Sant'Oronzo" と呼ばれていますが、17世紀にヨーロッパを襲ったペストの対策に尽力し、レッチェ市民だけでなく多くのブリンディシ市民の命も救ったレッチェの守護聖人(実在の人物なんですねぇ!)聖オロンツォ Sant'Oronzoに感謝を表して、ブリンディシからレッチェに贈られたものだそうです。円柱のてっぺんには聖オロンツォさんの像がのっかり今もこの広場で人々を見守っています。

しかしそんな歴史があったことを知ってか知らずか、現代のブリンディシ市民のなかには冗談まじりに「あの円柱はウチの街の宝だったのにレッチェの誰かが街に忍び込んで勝手に泥棒して持ち出したんだ」なんていう人もいます。
イタリアではよくあることですが、ご近所の町どうしでワイワイ言ってやり合うというのも裏を返せば、二つの街の仲がそれだけ良い証拠でしょうけどね^^
ちなみに余談ですが、レッチェのライバルの街といえば同じプーリア州の大都市にして州都のバーリ。とはいえ普段は特段なにかあるわけではありませんが、ひとたびサッカーの試合になると、お互いライバル心に燃えてわが街のチームを応援します。


その円柱のすぐ目の前にある箱形の建物はSedile(セディーレ)と呼ばれる中世の市庁舎兼市議会議場です。16世紀後半に、ヴェネチア出身でありながらレッチェ市長となり建築家でもあったPiero Mocenigo (ピエロ・モチェニゴ)により、元々あった建物から改築されました。
Sedileのすぐ脇にくっついている小さな教会、Chiesetta di San Marco(サン・マルコ教会)の入り口上部には、ヴェネツィアのシンボルである「翼のあるライオン」の立派なレリーフが構えています。(見えますか?写真をクリックしてみてくださいね☆)
サンマルコという名前自体もヴェネツィアの守護聖人、聖マルコにちなんだものですし、アドリア海の貿易を通じて北のヴェネツィアと南のレッチェがいかに密接な交流を持っていたのかがよーくわかりますよねー フムフム…

さーてお次はレッチェの街でもっとも整然として美しいといわれている Piazza del Duomo (ピアッツァ・デル・ドゥオーモ ドゥオーモ広場) も近くにありますから行ってみましょう♪ この広場の主役であるドゥオーモ(大聖堂)は、これまでに何度か建て直されており、現存するのは16世紀後半に、レッチェ=バロック建築の巨匠 Giuseppe Zimbalo (ジュゼッペ・ズィンバロ) の設計により20年かけて作られたものです。バロック様式とレッチェ石のおかげで、イタリアで最も壮麗なドゥオーモの一つに挙げられるそうですよ☆
その脇にそびえる5階建ての鐘楼 (Campanile カンパニーレ) は高さ70メートルに達し(当時としては超高層だったことでしょうねー!)、そこからは10km先のアドリア海まで見渡すことができ、当時海を越え攻めてきていたオスマン・トルコの艦隊など外敵の侵入に対する見張り台の役も果たしていたそうです。


(写真右: ドゥオーモ内から神学校方面を見たながめ)


このドゥオーモ広場には大聖堂と鐘楼のほかに神学校 (Seminario セミナリオ) もあり、これはさきほど登場したバロックの巨匠 Zimbaloの弟子だった Cino (チーノ) の設計によるもので、1694年に完成しました。前回訪れたサンタ・クローチェ大聖堂とならび、レッチェ=バロック建築の代表作といわれています。
(写真左: 神学校の中庭にあるこの井戸も見事ですねぇ)

ドゥオーモ広場を出て右に行くとサントロンツォ広場を通って南側の玄関 サン・ビアジョ門 (Porta San Biagio) 方面に、左へ進むと西側の玄関ルーディエ門 (Porta Rudiae)にたどり着きます。またドゥオーモ広場を出てそのまま直進すれば北側の玄関ナポリ門 (Porta Napoli) にたどり着きますが、その途中には Palazzo Spada ・ Palazzo Marrese ・ Palazzo Palmieri というバロック様式による貴族の3大宮殿がならんでいて必見ですよ♪ 近くにはバロック様式の劇場 Teatro Paisiello もあります。


ところで、街全体が城壁で囲まれていた城郭都市レッチェ、南北西の3方向には3つの門が配されているわけですが、街の東側はどうなっていたのかなー?とちょっと気になりますね。
今回あらためて地図を見てみると、街の東にはコレがありました → 
そう、これはレッチェのお城で " Castello di Carlo V (カルロ5世城) " といい、1549年に10年かけて築かれました。お城に王様の名前をつけるのってめずらしいなという気もしますが、このカルロ5世という人物は、神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家のドイツとかオーストリア)でもあり、スペイン王でもあり、南イタリアのナポリ王国の王でもあり、南アメリカの植民地も治めていたという当時のヨーロッパ=キリスト教世界ではNo.1の実力者だったのです。そして彼のライバルだったのが、イスラム教徒の国オスマン帝国の大将スレイマン大帝。こちらもアラブの当時の先進科学や軍事技術を駆使して飛ぶ鳥を落とす勢いで、ヨーロッパ中で侵略を繰り返していました。


実際サレント半島は東西の交差点であり、海のすぐ向こう岸は当時オスマン・トルコに征服されていたギリシャですから、再三イスラム艦隊の侵略に悩まされていたわけです。そこでヨーロッパ世界の大将であるカルロ5世が「なんとかしなければ!」とレッチェの街に築いたのがこのカルロ5世城だったのです。外敵が東側のアドリア海から攻めてくるから、街の一番東側にお城を作ったんですねー。。。
お城のスタイルはこの時代の南イタリアによく見られるアラゴン様式。この頃戦争で使われる飛び道具は弓矢から大砲に主役が変わったのにあわせて、城壁は従来より分厚く、一方で壁や建物の高さは低くなりました。いびつな台形の城壁の四隅にはそれぞれ、さらに強固な砦が大きく突き出しています。城壁で囲まれた中心には低層の本丸が一棟ドーンと構えています。
ちなみにこのカルロ5世、広大な領土を治めるため生涯ヨーロッパ中を旅してまわり何か国語も操れたそうで、「馬にはドイツ語で、女性にはイタリア語で、男性にはフランス語で、神にはスペイン語で話す」という彼の言葉は今でも有名です。
なるほど「女性にはイタリア語」ですかー、昔からイタリア語はロマンチックな言語というイメージだったんですねぇ


おーっとあぶないあぶない、また歴史の話が止まらなくなりそうでした^^;  
今回もそろそろレッチェの散歩が終わりに近づいてきましたが、いかがでしたか? 個人旅行でレッチェはじめサレント半島に観光へ行く際に、少しでもお役に立てればいいなと思います。
みなさんレッチェの長ーいお散歩お疲れさまでしたー^^パチパチパチパチ!!!


ぜひ自分の足で目で、レッチェの街を歩いてみてください☆万が一バロックの迷宮で迷子になったとしても、きっと気のいい地元の世話好きさん達が助けてくれるでしょうから、なにも心配はいりません^^


レッチェの街にはCartapesta(カルタペスタ)とよばれる精巧な人形細工や、テラコッタやレッチェ石を使った温もりのある伝統手工芸などもあります。またレッチェ市内には、FracciaMacciaがオススメのおいしいレストランやホテルもありますが、また別の機会に紹介したいと思うので、楽しみにしていてくださいね♪


それではみなさん、日曜の残りも楽しく過ごしてくださいね☆ 
Buon proseguimento di domenica.  Ciaooooooooooo!!


★ 次回予告 ★
イタリアでは今ちょうどカーニバルのシーズン真っ最中です♪ 次回はイタリアの伝統のお祭り、カルネバーレ(カーニバル)についてご紹介しようと思います。お楽しみにー☆

にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ ← 「サレントをゆく」シリーズでは、これからも南イタリアの素敵な街を訪ねていきますよ☆ クリックで応援お願いしまーす♪
にほんブログ村

2010/02/11

バロック建築の迷宮 レッチェ Lecce (その3)

Ciao a tutti!!  Come state?
みなさんこんにちはー☆ お元気ですか?


南イタリア紀行「サレントをゆく」シリーズの第一弾としてレッチェ(Lecce)を訪れていますが、今回はレッチェの街をぶらり散歩しながら、観光スポットをめぐりましょう♪


あ、ちょっとその前に。。ふと思ったんですが、レッチェというとブーツの形をしたイタリアのつま先にあたるカラブリア州の "Reggio Calabria(レッジョ・カラブリア市)"と音が似ているため誤解されることが時々ありますが、レッチェはプーリア州、イタリアのかかとですからお間違いなく☆ちょっと今さらかもですね。。
それから、往年のイタリア民謡「帰れソレントへ(原題: Torna a Surriento)」をご存知の世代の方にはその舞台ソレントSorrentoと間違えやすいかもしれませんが、あちらはサレントではなくソレント半島。ティレニア海沿岸のナポリから南下した小さな半島で、風光明媚なアマルフィ海岸があります。

かえってまぎらわしい情報になってしまったかもしれませんね ^^;


さぁーてそれではいよいよ☆レッチェの3大門のひとつ、街の西門にあたる Porta Rudiae(ポルタ・ルディエ)をくぐってレッチェの歴史街区に入ってみることにしましょう♪


(写真左: この人たちもこれからPorta Rudiaeをくぐり、レッチェの街を家族でなかよく散歩するところでしょうか?)
ちなみにPorta Rudiaeとともにレッチェを訪れる人々を出迎えるもう2つの門は、東側の Porta San Biagio(ポルタ・サン・ビアジョ)と北側の Porta Napoli (ポルタ・ナポリ) ですが、これらをあわせた3つの門すべて、街全体がぐるりと石壁で囲まれていたレッチェの街が完成した当初からすでにあったそうです(いずれも後世の16〜17世紀に再建されています)。
Porta San Biagio         Porta Napoli



レッチェの街を訪れたらまずは、優美で華やかなレッチェ=バロック建築の傑作の数々を見逃すわけにはいきません。 街の中心 = 歴史街区(Centro Storico チェントロ・ストリコ)に集まっている教会や宮殿や商館や邸宅など歴史的建造物の多くが、この "レッチェ=バロック様式" によってデザインされています。そこはまるでタイムスリップしたような、非現実的な世界が広がっています。


紀元前3世紀、ローマ帝国に征服されて以降のレッチェの歴史をかけ足でたどってみますと・・・ローマ帝国 → ビザンティン帝国(6世紀半ば〜)→ ノルマン・シチリア王国(11世紀〜)→ ナポリ王国 (13世紀〜) の4時代、1500年以上にわたり東西南北を結ぶ地中海交易の要衝として重要な役割を果たします。
こうして中世までに南イタリアを代表する一大都市としての地位が確立されると16世紀末から17世紀にかけて、レッチェの街では貿易で財をなした貴族や商人たち、あるいは当時絶対的な権力を誇った教会がこぞってバロック様式の建物を建てていくようになります。
(写真左: レッチェ=バロック建築を代表するサンタ・クローチェ大聖堂 Basilica di Santa Croce。1695年に150年かけて完成しました。なんとこのファサードの中には、動植物のレリーフにまぎれて、歴代の設計者4人の顔がこっそりと彫り込まれているんですよ…!どこに隠れているか知りたい人はFracciaに聞いてみてください♪)


街の支配者や権力者による整然とした都市計画があったわけではなく、人々がそれぞれ思い思いに自分の建物を当時流行のバロック様式で飾り栄華を競いあった結果、現在の街並みができあがったという点がおもしろいですねー


いまも中世の石畳がそのまま残っていて、道幅の狭く迷路のような小道が走るレッチェの街全体を舞台としたバロックの迷宮を歩くと、そこには驚きが満ちあふれています。


曲がりくねった路地が複雑に入り組んで見通しがきかないぶん、視界が開けたと思ったら突如として優美なバロック彫刻の建物が目の前に現れる。そういう建物が次々と路地から顔を出してはこちらに迫ってくるかのようです。
昔の人たちが工夫をかさね、路地や通りといった周囲の環境と建物自体がもっとも調和し共鳴するよう、意外性を高める視覚効果や日光の当たり具合までをも計算して作った街並み。
長ーい営みの中で生み出された、まるで街そのものが巨大な劇場であるかのようなこのレッチェの街を、皆さんも観客としてあるいはこの舞台に立つ役者気分で散歩してみてはいかがでしょうか☆


(写真右: 歩いているとやおら姿を現すサンマッテオ教会 Chiesa di San Matteo。こちらはひじょうに珍しく、レッチェ=バロックではなくフィレンツェなど中部イタリアのルネッサンス様式に忠実な作り。正面に見える2本の円柱のうち右の1本だけ、しかもその途中でバロック装飾が未完のままとなっています。「彫刻師のみごとな腕前に嫉妬した悪魔が彼の命を奪った」なんて伝説が残っているそうです〜〜)


意匠を凝らしたファサードを見ていると、「レッチェ=バロック建築は、彫刻や絵画と一体となった総合芸術である」といわれるのもなるほどなぁーとうなずける気がします。
FracciaMacciaのオススメは、建物のディテールに描かれた奇妙な動物やら怪獣や異邦人の姿。細部までよーく見てみてみると、中にはアニメチックなおもしろい顔をしていたり変てこな格好をしたものなどがたくさんあり、その中に自分だけのお気に入りを見つけるっていうのも楽しいですよ♪


(写真右: 今でもどなたか家族が住んでいる一般住居ですが、アンティークな建物はみごとなバロック様式、風変わりな動物たちがバルコニーを支えてます。それぞれ表情や動きが違って、とぼけた顔でワイワイガヤガヤ話しているような、なんとも楽し気な雰囲気です。花や果実のレリーフの流れるような曲線表現も見事です。)
ちょっとした双眼鏡みたいなものがあると彫刻の細部まで見られて便利ですが、怪しい人と思われないよう気をつけてくださいね!^^


これらの建物たち、つまり街全体が前回ご紹介したPietra leccese (レッチェ特産の石灰岩)で建てられているわけですが、この乳白色の石材は細かい彫刻など加工に適してるだけでなく、じつは建物のさまざまな表情を演出するのにも一役買っています。
(写真左: レッチェから約10km離れたアドリア海沿いにはこんな白い岩肌もあちこちに見られます。石灰岩だらけですね。)


まばゆい金色の朝焼け 〜 昼間の燦々とした白い日差し 〜 優しくも鮮やかなオレンジ色の夕焼け 〜 穏やかに暮れていく黄昏・・・と一日を通して色々な光を浴びることによって、この街はさまざまな色合いで表情を劇的に変化させていくのです。
FracciaMacciaのお気に入りは夕日が沈む直前、優しいオレンジ色に染まったレッチェ石の街並みを眺めながら歩くと心がなごみます。。


さらに日没後も、レッチェ=バロック建築物のライトアップが毎晩遅くまで行われており、星空の下に照らし出されたその姿もまた別の印象を醸し出しています。レッチェの夜の散歩は地元の人にも観光客にもたいへん人気があります。


南イタリアというと治安は大丈夫?と心配される方もいると思いますが、北イタリアの都市と比べてもレッチェの街はかなり安全な方だと思います。なんといっても街の規模自体が小さいですからね。


イタリアでは毎日のように、夕食後に友達と出かけて、街や公園を散歩したり一杯飲んだりしながらおしゃべりを楽しみますが、僕たちもイタリアにいる時には、よく友達とレッチェの街を散歩します。地元の人々や観光客など老若男女が大勢、夜遅くまでのんびり散歩している光景はいかにレッチェが安全な街かを物語っていると思います。


レッチェの街をだいぶ歩きましたね。そろそろお疲れでしょうから今日はココまでにして、ひと休みすることにしましょうか♪
正直いうとMacciaはレッチェの街を訪れる以前は、「バロックってゴテゴテとやたら飾りたててちょっとなぁ」なんて食わず嫌いをしていました。彫刻がじつにリアルで、それでいてコミカルなところ(勝手にそう解釈しているだけかも?^^)が今ではとっても好きです。
だって見ているだけで幸せになったり元気をくれる建物ってすごい力だと思いませんか??


それではまた週末にお会いしましょう^^  Ciaooo!!!!  







★ 次回予告 ★


レッチェの街の見どころはこれだけではありません。次回もまだまだレッチェの散歩が続きます♪ お楽しみにー☆









にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ   ← 人気ブログランキングに参加しています☆ クリックで応援の一票お願いしまーす♪
にほんブログ村

2010/02/07

バロック建築の迷宮 レッチェ Lecce (その2)

Ciao a tutti! Come va il weekend?
皆さんこんにちは♪ 週末はいかがお過ごしですか?


前回からレッチェの街を訪れていますが、今回もひきつづきサレント半島の中心都市 レッチェ (Lecce) についてお届けしたいと思います♪


歴史の古いイタリアの都市の中でも、レッチェはとりわけ古いうちに入るでしょう。この街については古代ギリシャ文明にまでさかのぼる、こんな神話というか古ーい言い伝えが残っているんですよ
☆
☆
☆
むーかしむかし、サレントの地にサーロ(Salo)という名の王様がおったそうな。そしてサーロ王が亡くなると息子のダスムノ(DasumnoあるいはDauno)が王位を継いだのじゃが、ダスムノは狩りをたいそう好み、ついにはこの地に多く住んでおったオオカミに食べられてしまったんじゃと。
そして息子のマレンニオ(Malennio)が王となって、レッチェの街の礎を築いたんだそうじゃ。そしてそのマレンニオにはそれはそれは美しいエウイッパ(Euippa)という名の娘がおったそうな。。。
一方そのころ、メッサーピ人でクレタの王であるイドメネオ(Idomeneo, Idomeneus)という男は、戦のあと海で嵐に遭っておった。海の神ネプチューンに向かい「もし故郷クレタに帰ることができたなら、私が陸にあがって最初に出会った者をあなたに捧げるとしよう!」と海を鎮めるようお願いしたところ、見事またたく間に嵐はおさまり、命からがらイドメネオはクレタに帰り着くことができたそうな。
ところが…!なんという運命のいたずらか、イドメネオが陸に上がって最初に会ってしまったのは、自分の帰りを心配して待ちわびておった息子じゃった!悩みぬいた果てに海神との約束を果たすためイドメネオはついに息子を生け贄として捧げてしまった。
それをみたクレタの民は怒り悲しみ、自分たちの王イドメネオを国から追い出してしまったのじゃ。イドメネオはまた海へとこぎ出し、サレントの地に流れ着いた。
そこでイドメネオはサレントの美しい姫エウイッパと出会い恋におち、やがてエウイッパはかわいらしい女の赤ん坊を身ごもり2つの民族がサレントでひとつになったのじゃ。
その赤ん坊を見て故郷の美しい街リーチャ(Lycia)を思い出したイドメネオは、娘にその街の名をとってリーチャと名付けることにし、そしてこの街もリーチャにちなんでレッチェと呼ばれるようになった。そして太陽の女神のように美しく育ったリーチャのため、まちの職人たちは競ってきれいな衣装や靴や建物やら詩をつくってはリーチャに捧げてみな幸せに暮らしたそうな。
めでたしめでたし。。。^^
☆
☆
☆
とまぁ伝承は伝承としてこんな感じなのですが、しかしこの街の基礎を作った人々が、古代ギリシャのエーゲ文明発祥の地=クレタ島から海を渡ってやってきたメッサーピ人であったろうことは考古学者もひろく認めるところで、「トロイの木馬」で有名な、かのトロイ戦争の頃(紀元前12世紀といわれています!)には、歴史上にその名が登場します。
(写真左: サレントではメッサーピ人の陶器の壷などもたくさん出土しています)
それによると、この頃(推定で3000年以上も前)ギリシャ方面から移住してサレント半島に定住していたメッサーピ人はメッサーピ語 (文字はギリシャ文字)でオオカミを意味する "シバル(Sybar)"という名で自分たちの街を呼んでいたそうです。


ちなみに上の昔話に登場するイドメネオ、エウイッパ、ダスムノとマレンニオの姿は、いにしえの時代からレッチェの街の入り口であった三大門のひとつ、Porta Rudie (ポルタ・ルディエ) に胸像の彫刻として今でも見ることができます(写真右: 柱のすぐ上の胸像4体見えますか?現在のPorta Rudieは、16世紀に焼失したのちに17世紀にレッチェ=バロック様式で再建されたものです)。 だけど…リーチェはどうしたのかな?まぁ伝説ですから^^

※ 左の地図をクリックして拡大してもらうと、地理的にレッチェとギリシャがいかに近いかがわかりますね(だいたい85kmくらい)? 数千年間にわたり人の往来や文化交流が盛んに行われてきたんですねー。今でもサレント半島にはGriko(グリコ)というギリシャ系の方言が話される村々がレッチェ近郊に残っていて独自の文化を育んでいます☆


Fracciaもその ”Grecia Salentina(グレチア・サレンティーナ)= サレントのギリシャ”と呼ばれるギリシャ系少数民族の末裔たちが暮らす地域の出身。独特の興味深い文化を持つこの村々についてはまた別の機会にご紹介したいと思います♪
(写真右: 水色の部分がレッチェ県で、赤く塗られた部分がグレチア・サレンティーナの一帯です)


その後、紀元前3世紀頃に古代ローマ人がローマ帝国拡大の過程でこの街を征服すると、先のメッサーピ人にならい、ローマ人はこの街を「オオカミの街」を意味する "ルピアエ(Lupiae)" と呼ぶようになります。
現代のイタリア語でオオカミのことをlupo(ルーポ)といいます。
余談ですが、よくイタリアで使われる決まり文句に、 "In bocca al lupo!(イン・ボッカ・アル・ルーポ)"という表現があります。
直訳すると「オオカミの口の中に!」といった具合ですが、これから試験や試合などに臨もうとする人に対し、「がんばってね!」とか「グッドラック」など応援したいときに使います。「死にものぐるいで」っていうようなニュアンスがよーく出てますよね?
この表現は日常的に使われますから、イタリア語を習っている方はご存知の方も多いでしょうし、イタリアを訪れたことのある方ならば、こういう風に声をかけられたことのある方もいるのでは?
"In bocca al lupo"と言われたら、返答も決まり文句があり、"Crepi! (クレピ)"と答えます。正確には "Crepi il lupo (クレピ・イル・ルーポ)" =「オオカミが死にますように」という意味。
けっして「Grazie=ありがとう」と答えてはいけませんよ!運が逃げてしまうそうですから。 ( ̄▽ ̄;)!! こういう迷信深い話はイタリア人の日常生活の中にたくさん出てきてけっこう面白いものです♪


さてさてレッチェの話に戻りますが、なにしろ現在でもレッチェ市のシンボルにはオオカミの姿が描かれているくらいですから、ここには太古の昔には本当にオオカミがたくさんいたのでしょうねぇ(人間が開墾して住み始めて以来オオカミは徐々に姿を消し、今ではもうオオカミにひょっこり出くわすなんてことはありませんからご安心を^^)。

そしてこの紋章にオオカミとともに描かれている「樫の木」、これがじつは結局レッチェという街の名がいつどのようについたのか?に大きく関わってくるのですが、この樫の木(正確には"ときわ樫"というそうです)を "レッチョ(leccio、または古語でlicinius)" といい、この地域一帯に生い茂っていたために、それが街の名となったというのが今では有力な説となっています。紀元2世紀のローマ帝国はハドリアヌス帝の時代にはレッチェの街がリケアあるいはリチェア(Licea)と呼ばれていたという記述も残っています。ふむふむ、なるほどー!しかしオオカミ(lupo)あるいは樫の木(leccio)のどちらが街の名前の由来となったのかは議論が永遠に続くことでしょう。。。

オオカミと樫の木をあしらった紋章をみていると、人間がやってくるずーっと前、樫の森をオオカミたちが駆け巡っていただろうサレントの姿が目に浮かんでくるようです。そして、オオカミなど野生動物と格闘しながら樫の原生林を、あたり一面のオリーブとブドウの畑に変えていった先人の苦労と偉業を称える…市のシンボルのデザインひとつをとってみても歴史や背景を感じられて味わい深いものですねぇ。
(写真左: レッチェ市街の中心にあるPiazza Sant'Oronzo = サントロンツォ広場の地面にモザイクで描かれたレッチェの市章。"In bocca al lupo"に似たイタリア式縁起かつぎで、地元レッチェの学生たちの間では、この広場に描かれたオオカミを踏んで歩いてしまうと試験に失敗すると言われているんですよ)

今回は歴史好きのMacciaが暴走してしまい、レッチェの歴史(というよりほとんど名前の由来だけ?)しか書けませんでしたが^^;   楽しんでいただけたでしょうか?


それでは皆さんよい日曜日をお過ごしください♪
Buona domenica a tutti! 


★ 次回予告 ★
次回の「サレントをゆく〜レッチェ編」第3回では、いよいよ(出し惜しみするつもりはないんですけど^^; )レッチェの街の見どころをたっぷりご紹介したいと思います!お楽しみにー♪ Ciaooooo!!



にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ ← 当ブログのランキングが、おかげさまで毎日ちょっとずつ上がってます♪いつもご声援ありがとうございまーす!
にほんブログ村

2010/02/04

バロック建築の迷宮 レッチェ Lecce (その1)

Buona sera a tutti! みなさんこんばんはー♪
1月 = Gennaio(ジェンナイオ)が終わって今週から2月 = Febbraio(フェブライオ)ですね。気張らずまいりましょー♪


さて、日本から南イタリア観光でプーリア州を訪れる方に人気のスポットといえば、かわいらしいとんがり屋根の街 "アルベロベッロ(Alberobello)"や山を埋めつくす真っ白い家々で有名な白亜の街 "オストゥーニ(Ostuni)"などがおなじみだと思います。
(まだ訪れたことのない方はぜひ!すばらしい旅の思い出ができると思います^^)
しかしプーリア州の観光はそれだけで十分だなんて思っている方いませんかー?
アルベロベッロ   オストゥーニ


そこから南にほんのちょっと行った、目と鼻の先の場所に広がるのがサレント半島です。オリーブ畑や海岸線が作り出す風景のなかに、宝石のようにちりばめられた個性的な街の数々。Cartoline dal Salentoではこういう街のひとつひとつにスポットライトを当て、どんどん紹介していきたいなと思っています。南イタリア特にプーリア州へ個人旅行を計画するならば、サレント半島を訪れずに帰ってしまうのはもったいないですから本当に。


南イタリア紀行、題して「サレントをゆく」シリーズ。その記念すべき第一回目に訪れる街は・・・・・
サレント半島を代表する都市、 レッチェ(Lecce)です!
それでは旅のはじまりはじまりーーー♪
☆
☆
☆
日本からレッチェへのアクセスは、JALやAlitaliaなどで空路ローマに到着したら、ひと晩ローマで休んで翌日鉄道でレッチェに移動するのがもっとも快適でしょう。昼間の快速エウロスター(ES*/Euro Star)に乗り車窓から南イタリアの景色を存分に楽しむもよし(ローマ・テルミニ駅 Termini 〜 レッチェ駅:所要6時間弱)、寝台列車にチャレンジするもよし(所要8時間半)♪♪♪
(写真左: ローマ〜レッチェの鉄道路線図。クリックすると拡大できます☆)
(写真右:アドリア海沿岸を南下する車窓からの眺め。オリーブやいちじくの樹々のむこうに真っ青な海が広がっています!撮影は'08年の12月、季節はこれでも冬ですよ☆)


もちろん飛行機もありますが、この場合はローマあるいはミラノからブリンディシ(Brindisi)空港へ飛んだ後(バーリ空港もありますが、レッチェに行くならばブリンディシ空港の方が断然近くて便利です。2007年に改修されてずいぶんとモダンできれいになり、ちょっとしたお土産屋もあります)レッチェ方面行きのシャトルバスが出ています(所要約30分)。しかしレッチェの街だけでなくサレント半島を周遊するならばレンタカーが一番便利だと思います。
もっとも、より冒険にチャレンジしてみたいならば、ローマからレンタカーで600kmのドライブという手もありますよ(この場合はCasertaあたりで一泊がオススメです)☆


ブリンディシ空港に乗り入れている格安航空会社も何種類かありますから、電車より安いというケースも結構ありますよ☆
鉄道がEuro Starの1等車で89ユーロ、2等車で62ユーロなのに対して、格安航空券はだいたい40〜50ユーロを目安に考えるといいと思います。
駅や空港からホテルまでの移動の時などはタクシーが便利ですが、結構高くつくケースが多いようですのであまりオススメはしません。




レッチェ市(Citta' di Lecce チッタ・ディ・レッチェ)はプーリア州(Regione Puglia レジョーネ プッリャ)、レッチェ県(Provincia di Lecce プロヴィンチャ・ディ・レッチェ)の県都で人口約10万人、周辺の村々を含めても20万人足らずの地方都市です。プーリア州内では州都バーリ(Bari)、ターラント(Taranto)、フォッジャ(Foggia)に次ぐ4番目の人口です。しかし小さな街であるにもかかわらず、これらの3つの街を圧倒するほどの際立った個性をレッチェは持ち、その存在感はイタリアで最も名の通ったプーリア州の街といえるでしょう。


明るい太陽やトロピカルな木々のせいでしょうか?サレント半島に一歩足を踏み入れると、南国特有の開放的でのんびりとした空気がどことなーく流れているのを感じます。
北緯40度、東経18度10分。意外かもしれませんが、日本で北緯40度というとちょうど岩手県盛岡市あたりです。やはり温暖な地中海性気候のおかげなんでしょうね、真冬には最高気温が5〜10度ほどに下がりますが、夏には最高気温が40〜45度くらいまで上がります(カラッとしてるので案外それほどの暑さに感じませんが、日差しはとても強いです)。


さぁレッチェの街に着くと、優しい乳白色をしたバロック様式の歴史的な建物たちがつぎつぎに出迎えてくれます。レッチェに着いて早々、南イタリアらしい華やかでにぎやかな建築群に圧倒されてしまいそうな目眩をおぼえることでしょう。
イタリアのバロック建築といえばまずルネッサンスの都フィレンツェが有名ですが、南イタリアにおけるバロック建築そして芸術の都というわけでレッチェは「"La Firenze del sud (ラ・フィレンツェ・デル・スッドゥ)" = 南のフィレンツェ」とイタリアでは呼ばれています。レッチェのバロック建築は "Barocco leccese(バロッコ・レッチェーセ)"という、れっきとしたひとつの建築様式として確立されているんですね♪


その細かい意匠の建築を可能にし、またよりいっそう美しいものにしているのが 、地元レッチェで採れる石材 "Pietra leccese(ピエトラ・レッチェーセ(レッチェ・ストーン)"のおかげ。この石灰質の石は柔らかくて加工しやすいのが特徴で、それが細かい曲線の多くみられるレッチェ=バロック建築に最適だったんですねぇ。
なにしろサレント半島は2万年前に海の生き物が堆積してでき上がった大地ですから、石灰質がとても豊富だというわけで、レッチェ石はサレント地方の主要産品の一つにもなっています。なんとも言えない柔らかい印象のこの石を活かしたインテリアやアートなどは観光客の間でもお土産として人気があります。


サレント半島の下半分はすっぽりレッチェ県にふくまれており(上半分はターラント県とブリンディシ県)、サレント半島全体の人口約80万人の中では「プーリア人=Pugliesi(プッリェーシ)」というよりもむしろ「サレント人=Salentini(サレンティーニ)」としてのアイデンティティーを強く感じている人が多く、その人々の心のよりどころとなっているのがレッチェ市となっています。
サレントといえばレッチェ、レッチェといえばサレントといった具合です。


おーっと、レッチェの街の入り口にたどり着いたところで今回は終わりが近づいてきてしまいました。
次回以降レッチェの街を、歴史や観光の見どころなどさまざまな角度からお伝えしていきたいと思います。


それではおやすみなさーい☆
Buona notte a tutti!


★ 次回予告 ★
ギリシャ神話の時代までさかのぼる長ーい歴史を誇るレッチェ。その歴史と昔話に次回は迫ってみたいと思います。乞うご期待!




にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ  ← 僕たちのサレント親善大使っぷり(自称)はいかがでしょうか?次回以降もがんばってご案内していきますよ☆  
応援クリックと読者登録よろしければ、お願いしまーす♪
にほんブログ村

2010/01/31

サレントの郷土料理研究家 Tonio Piceciさん(後編)

Ciao a tutti!  Come va?
現在FracciaMacciaが住んでいるコチラ大阪のまちでは、今日「大阪国際女子マラソン」が行われましたが、あいにく冷たい雨がふってランナーたちも体が冷えて動かず大変そうでした…
しかし早いものでもう1月も終わりですねぇ、なんだか1月は毎年あっという間にすぎる気がします。
まだまだこれから11ヶ月、たっぷりありますからゆっくり♪スロー・イズ・ビューティフル♪でいきましょう^^
さーて全3回にわたってお届けする、南イタリアはサレントの料理研究家 Tonio Piceciさんのシリーズも、いよいよ今回が完結編です。さっそくまいりましょうー☆

Piceciさんはパリのコルドン・ブルーでフランス料理を学ぶところから料理の世界に入り、パリの名店でその腕を磨いたのち、地元レッチェに凱旋。そしてレッチェで暮らすなかで自分のふるさとを見つめ直し、サレント郷土料理の再評価へと目覚めていったのです・・・というところまで前回お話しました。


そんなPIceciさん、じつはサレントの料理を世界中に普及したいという活動の一環で来日したこともあるそうです。東京や大阪に滞在すること数ヶ月間、某有名イタリアンレストランやフレンチレストランで調理やメニュー開発の熱血指導を行ったそうですよ。
サレント料理に対するPiceciさんの情熱とバイタリティー・・・ただただ脱帽するばかりです!

その来日の際にPiceciさんも持ってきたそうですが、FracciaMacciaが大大大好きでどーしても皆さんにもご紹介したい!というサレント特産の調味料があります。
その名を☆ vincotto(ビンコット/ヴィンコット) ☆といい、これはワインを作る過程でうまれる発酵前のブドウジュースをじっくり煮詰めたのち、年月をかけて樽の中で熟成させたものです。黒いアメ色の液体で、甘く芳醇な香りが特徴的です。とにかくもう、その味は他にたとえようがない絶品なんですっ! おっと、ビンコットが好きすぎてついつい力が入りすぎてしまいます(苦笑)

さわやかな甘みと酸味のハーモニーは、ヨーグルトやアイスクリームやスイーツ系から、お肉や魚や野菜のグリル料理や、サラダのドレッシングまでどんな食べ物にも合うので、思わずなんにでも使いたくなってしまうほどに万能なんです。
一般的にイタリア料理でよく使われる他の調味料にはバルサミコ酢などもありますね。バルサミコもぶどうやブドウ酢が原料ですが、それともまた全く異なるビンコットは、サレント料理に欠かせない存在です。
なんといってもビンコットの原料はブドウジュースのみ、その他の調味料や添加物など一切ないのもオススメしたいポイントです。混じりっけのない天然の旨味が活きています。
Macciaの日本の両親や家族も初めて食べた時から大ファンになり、健康にもいいので毎日のようにおいしく食べてます☆
(写真左: こんな感じでフルーツとヨーグルトにかけて食べることが多いですね)

日本でも、ビンコット作りの老舗Calogiuri社のヴィンコットなどが輸入食材を扱う高級スーパーやデパートなどでも最近売られているようですが、結構高いですねぇ  Σ(゚口゚;)//
(写真右: 見てください、コチラのとびきりドロッとしたヴィンコット!サレントに住むお友達のお母さんが作った自家製で、イチジク風味になってます☆これぐらい濃いと、ホットケーキやパンなどにつけたりしても美味しいです。)
日本ほどではないですが、イタリアも国別平均寿命ランキングでいつも4〜7位くらいに入るかなりの長寿国ですから、心身ともに若々しい人たちや元気に自転車やクルマに乗るお年寄りなどがサレントのあちこちで見かけます。ビンコットなど自然食品のおかげも大きいのかなぁーと思いますねぇ。

今回このブログでPiceciさんについて書くにあたり、ご本人とメールでやりとりしながら取材をかさねました。FracciaMacciaからの質問に快く答えてくださったなかで、聞いておきたい3つの質問に対するPiceciさんの答えを、ここでご紹介したいと思います。

Q: 料理家としてのモットーは何ですか?
A: 私の場合サレントですが、ふるさとの土地と料理というのは切っても切り離せない関係であるということ。 そしてもうひとつは、食というのは官能的なものであり、五感を最大限に利かせて楽しむということ。

Q: 料理家として、これからの目標は何ですか?
A: いまこの年齢ですが、まだまだ私の知らない新しいジャンルの料理、たとえば和食などに挑戦して自分自身を試してみたい。

Q: もし今日、世界が終わると言われたとしたら、その最後の食事には何を食べますか?
A: まぐろのお刺身、ビーツ(赤かぶ)の細切りとターメリック風味の焼茄子クリーム添え
 (うーんなんだかすごそうですが、正直どんなソースなのか?味がちょっとイメージできません…^^;)

南イタリアの料理やアイデンティティーを大切にするPiceciさんから「マグロのお刺身」という答えが出てきたのは意外でしたねー!

話はおもいっきり脱線しますが、昨年の国際会議でクロ(本)マグロの漁獲量制限が決定されたり、今年はワシントン条約で絶滅危惧種に大西洋や地中海やクロマグロが加えられるのでは?などという日本の食卓にとって、とても気になるニュースもありましたね。
思えば、毎朝のように築地に届く300kg超級の大きなクロマグロもイタリアを含めた地中海から沢山やってくるんですねー。にもかかわらず、現地の人たちの口にほとんど入ってないとしたら…
(左上: 18世紀のイタリアでのマグロ漁)
(左下: 19世紀のイタリアでのマグロ漁)昔はイタリア人もたくさん食べてたんでしょうねぇ
飽食の時代を経て、遠くない将来に地球規模の食料難がやってくるといわれる今、地中海のクロマグロが回遊する場所から10,000kmも離れた私たち日本人のもとに運ばれ、ほとんど(クロマグロの全消費量のうちなんと80%以上だそうです)が食べられている。しかもその穫り方がとてつもなく早いペースで今後マグロに絶滅のおそれがある・・・という話が本当だとしたら、ちょっと考えなおした方がいいかもしれないですね?
ちなみに、先日仕事で調べものをしててはじめて知ったのですが、イタリアにある和食屋さんや寿司屋さんで食べられる本まぐろは「再輸入」物(つまり、イタリアの海で獲った本マグロがいったん国外に輸出され、冷凍ブロックになって再びイタリアに輸入される…)であるだけでなく、スーパーにならぶツナ缶でさえほとんどが、フィリピンやインドネシアの海で獲れたバチマグロなどを加工したものだそうです。
Piceciさんのようにマグロのおいしさをよくわかっている人はイタリアにも多くいるわけですから、やっぱり地産地消の自然なかたちで、地中海のまぐろが目の前の海で獲れる場所に住むイタリア人の口にも届くようになったらいいなと思います。そのためには日本人がちょっと我慢しなくちゃいけないってことになるんでしょうけどねぇ…^ ^;)  みなさんはどう思いますか?

さーて今回もそろそろ終わりが近づいてきました。Piceciさんの話から大きく脱線してビンコットやマグロについて熱ーく語ってしまいましたが、楽しんでいただけたでしょうか?

Piceciさんを見ていると、人間は情熱を持ち続ければ、本当になんでも成し遂げることができるんだなーという勇気がわいてきます。
皆さんも今日のブログを読んでおなじような勇気を感じていただけると、うれしいです^^


僕たちFracciaMacciaも当ブログ「Cartoline dal Salento」を、情熱を持ってコツコツ続けていきたいなぁと思います☆


それではまた次回、 alla prossima!
Ciaoooo!



にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ  ←Piceciさんのお話でお腹いっぱいになってもらえましたかー?人気ブログランキングに参加しています、応援のクリックお願いしまーす♪
にほんブログ村

★ 次回予告 ★
次回は「サレントをゆく」と題してお送りする南イタリア紀行の第一弾、レッチェ(Lecce)の街を訪ねてみたいと思います。おたのしみにー☆