Ciao a tutti! Come state?
こんにちは!一気に春らしく暖かくなってきた今日この頃、みなさんお元気ですか?
ひと月も前のことですが、毎年3月初めに恒例となっているFOODEX(国際食品展示会)での通訳のお仕事のため千葉県の幕張メッセに行き、東日本大震災発生の5日前に大阪へ戻ったFracciaMacciaです。
いつも同じ毎年決まったイタリアからの出展社さんの通訳&その他諸々の段取りのお手伝いをさせて頂いているのですが、 “BIOITALIA” 社さんを筆頭とする、厳選されたイタリア有機食材の生産者&販売者の共同運営グループ『Consorzio Biologico』さんといいます★
ナポリからのBIOITALIA社やボローニャそしてトリノなどイタリア各地からいらっしゃるConsorzio Biologico御一行の皆さんはとってもエネルギッシュで楽しい方々ばかりなので、1年に1回の再会そしてご一緒させていただくお仕事はFracciaMacciaにとって春の楽しみの一つとなっているんです^^
健康かつ美味しいオーガニック食材でイタリア料理を楽しむ!なんてステキじゃないですか♥
南イタリアの有機食材の生産と販売をリードするBIOITALIA社さんは東京の提携会社(残念ながらFracciaMacciaとはまったく無関係ですが)を通じインターネット上で日本向けの小売り販売もされているので、ご興味のある方はネット直販ショップを覗かれてみてはいかがでしょうか?
日本ではまだ珍しいイタリアのお米(言うまでもなくリゾット=risotto や ライスサラダ = insalata di risoに最適!)なんかも案外お手頃なお値段で販売されているようですョ
さーて前置きはこれくらいにしましてお待たせしました!前編(コチラからどうぞ)にひきつづき、南イタリアを代表する伝統ダンス、ピッツィカ(Pizzica)のルーツを探る旅の後編を元気にお届けしたいと思いまーす!
★
★
★
★
★
実際に生でピッツィカを見たり聞いたりしたことのある方ならばきっと同感していただけると思いますが、ピッツィカの生み出すエネルギーや迫力はホントーッに見る者すべてを圧倒するものがあります。
その明るいメロディーや軽やかなリズムを聞いているだけで心が軽やかになって、体にエネルギーが充ちてくるのを感じますよ!きっと♪
さて前編では、ピッツィカの歴史をたどるなかで「毒グモ」と「若い女性」と「ダンス」という3つのキーワードが浮かび上がってきましたね。そのときご紹介したサレント地方に伝わる古い言い伝えの原点は、じつはアドリア海を越えたむこうのギリシャ、なんと古代ギリシャ神話の中にあるそうなんです!!!
古代ギリシャ神話のストーリーをひも解けば、ピッツィカ =「毒グモ治療ダンス」というナゾに対する答えが見えてくるかもしれません。
具体的には、アラクネ(伊:Aracne / 英:Arachne)という名の若い娘が主人公として登場するいくつかの古代ギリシャ神話にピッツィカの起源がみられるそうです。
アラクネが登場するギリシャ神話は複数あるのですが、そのなかでも代表的な2つのエピソードをちょっとのぞいてみましょう☆
まずひとつめは古代ローマの詩人オウィディウスによる「変身物語」に登場するバージョン(今回も、まんが日本昔話風でどうぞー^^)・・・・・
“ むかーしむかし、アラクネという名の、貧しいけれどそれはそれは美しいむすめがおった。 機織りの腕が見事で、リディア地方に住む者でアラクネの名を知らぬ者はいなかったほどだそうな。
神々に仕える妖精たちでさえ、その見事な腕前にホレボレと見とれてしまうほどじゃった。
そんなある日、いつものようにアラクネの機織りの仕事ぶりを眺めながらニンフたちが「うーん、何度見ても見事な腕前。きっとアラクネはわれわれの女神アテネさまから機織りを習ったにちがいない」と言った。
それを聞いたアラクネは自尊心を傷つけられ少し腹をたてながらこう答えたそうな。「いえ、そんなことはございません。もしお疑いならば、アテネ様より私の方が機織りが上手だということを証明してさしあげても構いません」。
というわけであれよあれよという間に、女神アテネがアラクネの機織りの挑戦を受けるはこびとなったんじゃから、神々も人間たちも巷ではこの話題で大騒ぎ。
自分の腕前にたいそう自信のあったアラクネは、「自分が負けたら罰としてなんなりと受けましょう」とまで約束する始末じゃった。
そうこうするうちに、いよいよ二人が機織りの腕前を競うその日がやってきた。いざ機織りが始まってみるとアラクネの腕前の方が女神アテネよりも上であることは誰の目にも明らかじゃった。
女神アテネ自身もアラクネの織物のあまりの見事さに息をのんでしまったほどじゃ。
嫉妬に駆られた女神アテネは揚げ句のはてにアラクネの織物をその場でビリビリに引きちぎって、なんとアラクネを醜いクモの姿へと変えてしもうた。
女神の怒りを買った哀れなアラクネは、それ以来いまでもその姿のままずっと巣を織りつづけておるというわけじゃ。 <おしまい>”
いかがですか? 機織り仕事の糸を紡ぐさまを、クモが糸を出して巣を張るさまにかさねた古代ギリシャの人々の想像力が生み出したストーリーといったところでしょうか。
それにしても昔話って洋の東西を問わず、現代人の目からみるとけっこう理不尽で残酷なストーリーが多いですねぇ^^;
写真左:
この話を題材として描かれた、17世紀スペインを代表する巨匠ベラスケスの名画『織女 アラクネの寓話』
(スペイン・プラド美術館所蔵)
左側の黒衣をまとった老女が女神アテネ、右側の糸を紡ぐ若い娘がアラクネを表した姿だとされています
それでは気を取り直しまして^^;)、つづいても古代ギリシャ神話から、同じく若い娘アラクネを主人公とする別バージョンのエピソードを短めにどうぞ♪ ・・・・・
“ むかーしむかし、そのまた昔。アラクネという美しいむすめがおって、船乗りの若者と恋に落ちたそうな。ようやく結ばれた二人だったのじゃが、その翌日きゅうに若者が長い航海へと旅立たねばならないことになった。
遠くへと行ってしもうた若者は幾日幾月経てども帰ってこなかった。アラクネは来る日も来る日も若者を待ちつづけておった。
そんなある日、アラクネはいつものように海辺で船の姿を探していると、こちらに向かってくる一隻の船を見つけた。かねてから若者と示し合わせておいた合図を、アラクネはさっそくその船にむけて送ってみた。すると船から同じ合図が帰ってきたのでアラクネは「あの人が帰ってきたに違いない!」と大喜びで港まで走っていった。
すると、何年も帰ってこなかったために人々は見慣れぬその船を敵の船だと勘違いして、船が港に入ってくるやいなや襲いかかると船乗りたちを皆殺しにしてしもうた。
長年待ちつづけた恋人が自分のもとに帰ってきた喜びもつかの間、目の前で殺されてしまい絶望するアラクネ。そんな彼女を哀れんだ神ゼウスは、彼女が亡くなるとその姿を毒グモに変えて甦らせ、毒をもって無慈悲な人々に復讐できるようにしたんだそうな。 <おしまい> ”
こちらのバージョンもけっこう恐ろしい感じでしたねぇ^^;
「いきなり古代ギリシャとは唐突だなー」とビックリされた方もいるかもしれません^^
しかし、はるか昔トロイ戦争のころ(紀元前12世紀頃ですョ!)から数百年にわたって、古代ギリシャのクレタ島などから海を越えてサレント地方に人々が移住してきたことが明らかになっています(これがギリシャからイタリアへの民族移動の第1波★ サレントの中心都市レッチェの街誕生にまつわるこんな伝説もあります。コチラからどうぞ♪)。
日本ではあまりひろく知られていないかもしれませんが、プーリア州をはじめ、イタリア半島のつま先カラブリア州、ナポリを中心とするカンパーニャ州そしてシチリア島にいたる南イタリア一帯には、かつて"Magna Grecia (マーニャ・グレチャ)" = 『大ギリシャ』とよばれる一大ギリシャ文化圏が形成されていました。
とりわけレッチェを中心とするサレント地方とギリシャの間には(地理的にとっても近いですから)、歴史的また文化的に切っても切れない特別に強いつながりがありました。 そのなかで、サレントの伝統ダンス・ピッツィカもギリシャからの移民たちにより生み出され守られてきた伝統のひとつといえるでしょう。
ピッツィカの由来を考える上で欠かせないキーワードがもう2つ、 “Tarantella (タランテッラ) ” そして “Tarantismo (タランティスモ) ” です。お気づきのように、いずれも大クモ=Tarantaを語源としています。
"Tarantella" というのはピッツィカに代表される南イタリアのフォークダンスの総称です。そして "Tarantismo"というのは民間伝承の舞踏儀式(というと、なにやら怪しげな響きになっちゃいますね?^^)のことで、
つまり 「あの娘は気がふれてしまったようだ」
→「それはいかん。きっと毒グモにかまれたのだろう」
→「薬も効かない。どうやって治してあげようか?」
→「よしっこうなったら楽器で煽って踊らせて毒気を抜いてやろう!」
という一連のとっても原始的な考え方が基礎となっていて、これも古代ギリシャに遡ることができるものだそうです。
余談ですが、先ほどご紹介したギリシャ神話に登場するこの『アラクネ』という女性の名はギリシャ語でクモを意味するところとなり、それぞれクモを意味するフランス語のAraignéeやスペイン語のAraña、そしてイタリア語のRagnoの語源にもなっています。英語でもふつうクモといえば "spider" ですが、クモ恐怖症を指す "arachnophobia" なんていう表現あたりにはやはりアラクネが含まれていますね。
さらに余談ですが、近年ハリウッド映画版がリバイバルヒットをした、イタリアでも人気のスパイダーマン(Macciaが通っていた幼稚園では、月1回のお誕生日会などテレビ映画鑑賞の際に古いアメリカTVドラマ版の『スパイダーマン』が上映されていました。こわかったなぁー^^;)。
イタリアでもコミックが長年人気ですがイタリア語では "Uomo ragno(ウオーモ・ランニョ)" といいます。 uomo (男) + ragno (クモ) = クモ男、ってそのまんまですね!(笑)
とにもかくにも、ようやく古代ギリシャ神話に「若い女性」と「毒グモ」とのつながりの起源を見つけることができましたー♪ パチパチパチーッ^^
ピッツィカが「毒グモ治療のためのダンス」とされていたナゾはまだ残されていますねぇ。
16〜17世紀にかけて、毒グモ"タラントラ"に噛まれた毒により気がふれてしまったと勘違いされるようなヒステリー症状に陥った(ちなみにこの状態になった女性を “Tarantolata”といいます)女性がここ南イタリアにも数多く存在したことは事実のようで、その治療手段としてピッツィカの踊りと演奏が大まじめに実行されていたことが当時の文献からも明らかになっています。
しかし前編で書いたように、実際このクモの毒は非常に弱く気がふれるような症状にはならないということですから、いったいその症状のホントの原因はなんだったのか?研究者たちをもってしてもいまだに解明されていないというのが真相のようです。
FracciaMacciaの想像にすぎませんが、衛生環境も食料事情も現代よりずっと悪かったであろう数百年も昔の世界ですから、栄養面ひいては健康面で問題が色々あったことでしょう。それが当時の若い女性がヒステリー状態に陥る一因だったかもしれません。科学や医学の進歩した現代人からみれば「毒グモに噛まれて気がふれてしまったから、タンバリンに合わせて踊らせて治療しよう」なんてのは笑い話かもしれませんが、医療や衛生の知識も乏しい当時の人々にしてみたら、原因不明のままで手をこまねいているよりも、対処法が一応あるぶんまだ安心できたのではないでしょうか。
まぁ少し謎めいたままミステリアスなフォークダンスであった方が、ピッツィカをより魅力的なものにしているかもしれません^^
19世紀ロシアの偉大な作曲家チャイコフスキーの作品のなかに、彼がイタリアを旅した際に作曲した「イタリア奇想曲(Capriccio Italien)」というクラシックに疎いFracciaMacciaにとってはマイナーな(?)作品がありますが、この中にもチャイコフスキー自身が南イタリアで実際に触れたピッツィカのリズムや音色がモチーフになっている部分が登場するそうですよ♪
レッチェ市郊外にあるFracciaのふるさとカリメーラ村(Calimera)で民俗資料館を構え、民俗伝承研究家として活動しているFracciaのお父さんによりますと、17世紀以降はピッツィカから『毒グモ治療ダンス』という性質が徐々に薄れていったものの、中世ヨーロッパの封建社会のご多分にもれず南イタリアでも、当時社会的に弱い立場にあった女性たちが公の場に出て活躍するということはほとんどなく、それどころか大多数の女性たちは人生の大半を家という囲われた世界の中だけで過ごさざるをえなかったため、なかには精神的にその窮屈さに耐えられず、これが原因でヒステリー状態に陥る女性もいたようです。
そういう女性たちが年に数回でも思いきりストレスを発散させる機会をつくろうという配慮からピッツィカという踊りが名目上は『毒グモ治療ダンス』のまま、ますます盛んに行なわれるようになったようです。
驚くべきことに、この "Tarantolata" と呼ばれるクモの毒のせいで(?)陶酔状態になる女性たちの現象は1960年代までサレント地方で見られたそうですが、それと同時に、ピッツィカは純粋に思いきり楽しむダンスだという感覚もこの頃にはすでに人々の間で広まっていました♪
そして21世紀の現在では、南イタリアを代表する明るく活気あふれた雰囲気のフォルクローレ・ダンスとして知られるピッツィカ(Pizzica)★
ダンスの主役となる現代の女性たちは、ますます自由に元気に輝きながらこれからも踊りつづけることでしょう♥
★
★
★
★
★
サレントっ子たちに愛されつづけるダンス、ピッツィカと毒グモと女性をめぐる歴史の旅。いかがでしたか? 楽しんでいただけたでしょうか?クモが苦手な方は、何度も「クモ」「クモ」ってスミマセンでした(苦笑)
← 結婚披露宴でピッツィカを踊る花嫁のFraccia♥ ちょっとマニアックな内容だったかもしれません(歴史ミステリー大好きのFracciaMacciaは思う存分書いて満足してます^^)が、大好きなサレントを語るうえでやっぱりピッツィカはどーーーしてもっ欠かせない存在なんです!
FracciaMacciaの結婚披露宴では、以前ご紹介したピッツィカのグループ Astériaに演奏とダンスをお願いしてご招待客の皆さんとピッツィカを踊ったくらいですし^^
サレント半島の人々に深く根づいているフォルクローレ音楽Pizzicaは、みなさんがプーリア州を旅行される際には(夏場の盛り上がりはスゴいですョ!)ハイライトの一つになることうけあいです★
時期や場所などタイミングさえ合えば、ピッツィカのダンスレッスン(思ったよりも簡単ですよ♥ 体力は使いますけど・笑)に参加するもよし♪ タンバリン演奏のレッスン(これはとっても難しいですよー!)に通ってみるもよし♪
観るだけでももちろん楽しめますが、勇気をだしてステキな相手と即興でペアを組み自由に踊ればきっと、さらに楽しく感動的な思い出となりますよ!
毎年8月中旬〜下旬の数週間にわたってサレント地方の各地で催されるピッツィカ最大のイベント "La Notte della Taranta(ラ・ノッテ・デッラ・タランタ)" は必見です。
公式ホームページはコチラからどうぞ♪ イタリア語と英語があります プーリア旅行でサレント地方を訪れる際は、ぜひそのリズムやダンスを肌で感じてみてくださいね!^^
それではまた次回、おたのしみにーっ♪
Alla prossima! Ciaooooooo!
← 皆さんから頂くコメントやご声援のクリックが励みになります★