イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2011/02/25

南イタリアのフォルクローレ♪ Pizzicaの歴史(前編)

Ciao a tutti!
みなさん、こんにちはー♪

前々回 (お見逃しのかたはコチラからどうぞ♪) は、Fracciaの地元=プーリア州南部のサレント地方のみならず南イタリアを代表するフォルクローレ音楽であるPizzica(ピッツィカ)のライブの模様をお届けしました。
動画でダンスの臨場感をお届けできた(?)のが良かったのか、たくさんの方からご好評の声をいただきました♪  サレント地方の元気さを象徴するようなダンス=ピッツィカに多くの方が興味を持ってくださり、草の根サレント親善大使を自認するFracciaMacciaとしてはとってもうれしいかぎりです♪


というわけで今回前編と後編の2回にわたり、そのピッツィカに歴史の視点から迫ってみたいなと思います!
ミステリアスかつ危険な香りがするピッツィカの由来 歴史大好きMacciaの趣味暴走!なお話になりそうですが、みなさんもFracciaMacciaと一緒に歴史探偵になったつもりでお楽しみください^^
それでは南イタリア歴史ロマン紀行、しゅっぱーーつ進行!




まずこの“Pizzica(ピッツィカ)”という名前。正式には “Pizzica Pizzica(ピッツィカ・ピッツィカ)”とも言いますが、ふつう地元レッチェ県の人たちは親しみをこめてただたんに “ピッツィカ” と呼びます。
音楽好きの方はよくご存知だと思いますが、バイオリンやジャズベースなど弦楽器の演奏に、「ピチカート」あるいは「ピッツィカート(pizzicato)」という弦を指で弾く奏法がありますね? このピッツィカというのは、まさにこの “pizzicato” = イタリア語で「つねったような、跳ねたような、弾いたような」という意味の類語ですから、軽やかにとび跳ねるように踊るダンスにピッタリの名前といえます♪
なんとなーく“ピッツィカ” って音を聞いただけでもピョンピョン飛び跳ねるようなかわいらしい雰囲気が名前に表れているでしょう?^^


ふつうピッツィカは2人でペアになって踊りますが、男女あるいは女性同士のペアが一般的です。そのスタイルも街によってさまざまに変化し、FracciaMacciaはまだ見たことありませんが、まれに男性同士で対決するようにピッツィカを踊るところなどもあるようです。
Pizzica a scherma(ピッツィカ・ア・スケルマ)と呼ばれるこの男vs男ペアのダンス・スタイル(直訳すると "フェンシングのピッツィカ" 、さしずめ指を剣先にみたてた "剣の舞い"とでもいったところでしょうか)は、毎年8月15日頃にサレント半島南部内陸にあるちいさな村Torrepaduliで開かれる Festa di San Rocco(サンロッコ祭り)が有名です。ダンス対決とは激しそうですねぇ^^;


いずれにせよピッツィカのダンスでは女性ダンサーが主役となる場合がほとんどです。男性が一緒に踊るときも、女性パートナーのサポート役、どちらかというと引き立て役にまわることが多いです。その一方でタンバリンやフルートそしてアコーディオンなど、音楽とリズムを奏でる楽器は男性が担当する場合が圧倒的に多いです。


これにはサレント地方のある言い伝えがかかわっているようで、これが本当の史実だったかどうかはともかく、そのサレント各地の家々に伝わっている言い伝えをまんが日本昔話風にまとめてみますと・・・・・


むかーしむかし、ここサレントの地ではあちこちの家々で、若い娘たちがクモにかまれて毒が回り半狂乱になって
しまうという不思議なことがおこったそうな。
医者が診てもどうにもならず、家族が困ったあげく娘のまわりでタンバリンを叩きならしたところ、なんと娘がその
リズムにとりつかれたように踊りだしたそうじゃ。
タンバリンを速く強く叩けばたたくほどそれに合わせて娘もはげしく踊り、昼夜を継いでタンバリンの音と踊りはつづいた。
しまいにはとうとう娘たちは踊り疲れて気を失い倒れるのじゃが、やがて目を覚ますと娘の体からはクモの毒気が
すっかり抜けておって、また元のとおり正気にかえったそうじゃ。
こうしておおくの娘たちの命が救われたそうな。めでたしめでたし。”


・・・・・ とまぁこんなぐあいで、なんと毒グモにかまれた若い女性たちの治療がピッツィカの由来であり、このダンス本来の目的だというんですっ ビックリですねー!


ちょっと話は脱線しますが、日本語版ウィキペディア「ピッツィカ」の項には、上の伝承と同じような内容にくわえて「…また男性が気になる女性を口説くために畑の中でする踊りであったともされている。…」とありましたが、こちらは生粋のサレントっ子Fracciaも家族も親子3代そろってだれも聞いたことがなく、どこからこの話がでてきたのかな?とちょっと首をかしげています。 
クモの昔話よりそっちの方がよっぽどロマンチックでしょうけどねー^^
たしかにピッツィカの歌のなかには「人生」や「苦しみ」などをテーマとする曲の数々とならんで、ラブソングも多く存在するのも事実です。
しかし男女がペアになって踊る場合も、かならずしも恋人同士にかぎられているわけではなく、別に家族や親戚でもいいわけで、たとえば兄妹あるいはお祖父さんと孫娘などがペアになって踊るなんていうほほえましい光景もお祭りや家族の集まりでよく見られます。
ですから「口説くためのダンス」といわれると「・・・?!」と思ってしまうわけです。


さて先ほどのピッツィカの由来とされるサレント地方の伝承に話を戻しまして、、、
実際にはサレント地方に毒グモが多いなんて危なっかしい話はいまどき聞いたこともないし(これからプーリアを旅行されるみなさん、安心してねっ 笑)、レッチェで生まれ育ったFraccia自身ここ南イタリアの地元プーリア州レッチェ県でフツーに生活を送ってきたなかで毒グモならずとも普通のクモすら見かけたという経験がほとんどありません。
ですから、この「ピッツィカはじめて物語」はさすが古い言い伝えなだけに「とにかく踊って踊りまくってクモの毒を消す」というじつにエキセントリックなストーリー展開で「ちょっとムリヤリな感じがするなぁ?」という印象が残ります。


しかし!!じつは、、、おなじプーリア州内サレント半島のレッチェ県とブリンディシ県の北隣に位置するターラント県(Taranto)は、この地に生息する大型のクモ=タラントラ(Tarantola)あるいはタランタ(Taranta)の名前の由来にもなった土地であり(英語の"Tarantula"=タランチュラの語源にも)、さらにそこから派生した、ピッツィカを含む南イタリアのフォークダンス数種類を総称した “タランテッラ(Tarantella)” という言葉の語源にもなっている街なんです…!!
つまりプーリア州ターラント市周辺を中心にサレント半島に大型のクモがたくさん生息していたことはまぎれもない事実のようです。そしてどうやらその大クモと南イタリアのフォルクローレ音楽になんらかの関係があるということも間違いなさそうですねぇ。


あっ!念のため良い機会だと思い調べてみたところ、ちなみにこの南イタリア・プーリア州ターラント県周辺に生息するタラントラは、じつはアメリカ大陸のタランチュラとは見ためは似ているものの全くの別種で、実際には人間に対する毒性はとても低くかまれてもかゆくなる程度なんだそうです(ねっ言ったでしょ?だからみなさん安心してね なんちゃって^^;)。
にもかかわらずこの人騒がせな大クモ、やっぱりその大きくてインパクトのある見た目のせいで『毒蜘蛛タラントラ』として文字通り狂喜乱舞のダンスに一役買わされることになってしまったのでしょうか。ちょっとかわいそうかも...


しかし、仮に人が毒グモにかまれたことがあったとしても、ピッツィカのような踊りがはたしてほんとうに治癒効果があると昔のひとは信じていたのでしょうか?
また、そもそもなぜ「毒グモ」と「女性」と「ダンス」が結びついたのでしょう?


これらのナゾの真相をさぐるには、もう一歩ふかくサレントの歴史に足を踏み入れる必要がありそうです
すると浮かび上がってくるのが・・・・・アドリア海のすぐむこう岸、ギリシャの影響です


・・・・・ (後編につづく) ・・・・・


いやぁいいですねーこのアドベンチャーな感じ♪ ちょっと『世界ふしぎ発見』っぽくなってきたでしょう?^^
今回はここまで めずらしく写真が全然入ってない記事になってしまいましたが楽しんでいただけたでしょうか? 


まだまだ次回も、海を渡ってギリシャにピッツィカのルーツをもとめる歴史の旅はつづきますョ!
お楽しみにー♪♪♪
Ciaooooo!!





にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ ← 皆さんから頂くコメントやご声援のクリックが励みになります★ 
にほんブログ村                ポチッとよろしくお願いしまーす






0 件のコメント: