イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/06/30

〜 サレントをゆく 〜 Otranto オトラント編(その1)

Ciao a tutti! Tutto bene nella stagione delle piogge?
みなさん、こんにちはー♪ 梅雨まっ盛りの今日このごろ、お元気ですか?
早いものでもう今日で今年の前半、6月=Giugno(ジュンニョ)も終わりですねぇー!まっ盛りといえば、FracciaMacciaはワールドカップのTV観戦で一喜一憂しながら寝不足の日々です♪ イタリアが早々と敗退してしまいガッカリでしたが。。昨夜も日本がパラグアイに、、、負けは負けとはいえPKですからなおさら悔しいですけどベスト16ですから☆よく戦ったなぁと♪選手たちに感動をありがとう!と言いたいですね♪


さてさて一方、南イタリアですが梅雨がありませんから、今ごろサレントはすでに夏の太陽の下で、海水浴を楽しんでいる人たちもいるようです♪ FracciaMacciaも「早く海へ泳ぎに行きたーい!」とウズウズしています♪ ^^

さぁ今回はひさしぶりの、"サレントをゆく" シリーズの第2弾☆ FracciaMacciaもイタリアに帰省するときはかならず散歩や食事、それからショッピングでも訪れるお気に入りのまち、レッチェ県はオトラント (Otranto) を訪れてみましょう♪

オトラントはアドリア海に面した小さな港町で、レッチェ市から南東方向に車で小1時間行ったところにあります。
イタリア全体の地理でいうとイタリアの最東端に位置し、初日の出を一番最初に見られるところとしてその名が知られています(と思うけど、北イタリアの人たちにもよく知られてるかどうかは、、ビミョーかもしれません^^;)。


人口わずか6000人ほどの小さな街ですが、なんとオトラントは「イタリアの美しい村100選」に選ばれているんです♪
イタリア旅行通の方はご存知かもしれませんが、これは "I borghi piu' belli d'Italia (イ・ボルギ・ピュ・ベッリ・ディターリア)" といい、
街並みが一体感のあるかたちで調和されていること
人々が高い生活の質を保っていること
街に芸術面や歴史上で重要な伝統や遺産が受け継がれていること
などを基準とし、貴重な伝統があるにもかかわらず人口減少などになやむ小さな街や村の価値を再認識して保護していこうという、2001年からはじまったイタリア全体、国をあげての観光資源を保護する活動なんですよー



小じんまりとした美しい港、そこに面した立派なお城 "Castello di Otranto (カステッロ・ディ・オトラント)"、街の中心にある質素な外観からは想像もできないような驚きの詰まった大聖堂 "Cattedrale dell'Annunziata (カテドゥラーレ・デッラヌンツィアータ)"、そして旧市街にはまぶしいほどに白い漆喰の入り組んだ路地や、色とりどりのお土産物屋さんの通りがあり、歩き疲れたらおいしいアイスクリーム屋さん(Gelateria ジェラテリア)や、海岸沿いの活気があってとっても美味しい地魚のシーフードレストランやバーなどなど、オトラントの街は小さいけれど見どころがたくさんあるので、サレント旅行の際はぜひ行ってみてください。みなさんも地元の人々にまぎれて一日二日この街を散策しながらゆっくり過ごせばステキな旅の思い出の1ページになること間違いなし、オススメですよー☆


ちなみに、イタリア語で散歩を "passeggiata (パッセッジャータ)" といいます♪
ではさっそくオトラント散策へまいりましょー! Facciamo una passeggiata ad Otranto!


〜 地理 Geografia 〜
左の地図を見てみてください。(クリックするとGoogle Mapにジャンプしてもっと詳しくみれますよ♪)
イタリア半島の最東端に位置し、海をみればオトラント海峡によりアドリア海とイオニア海を隔て、また陸地をみるとイタリア半島とバルカン半島(アルバニアやギリシャ)が隔てられており、地理的にとても興味深い役割を担う位置にあることがわかります。
天気のいい日には、海に面したお城の小高い丘に上がれば、青い空と海のあいだに、対岸のアルバニアやギリシャの山々の影をうっすらと望むこともできます。おもわずヤッホーと叫びたくなります ^^


〜 歴史 Storia 
オトラントも、レッチェなどサレント半島にある他の多くの街とおなじく紀元前12世紀あたり、メッサーピ人(以前レッチェの回で登場しましたね)や、古代ギリシャの植民都市として誕生した、とっても歴史のある古ーい街です。いにしえのギリシャからの開拓者たちはオトラントの街を古代ギリシャ語で "Hydrus" と呼び、その後のローマ帝国時代にはローマ人がラテン語で "Hydruntum" と呼んでいましたが、その名はギリシャ語の "ydrous" = 「水(イドゥロス)」(そういえば今でも英語や化学なんかでも "水" とか "水素" のことを "Hydro (ハイドロ)"っていいますよね)という言葉に由来しています。
つまりここにはサレント半島ではめずらしく、小さいけれど川があり (その名もずばり"Fiume Idro(フィウメ・イドゥロ)"、さしずめ "「水」という名の川" といったところでしょうか)、当時から土壌もたいへん豊かで、きっと入植するのに適していたのでしょうね。今から3000年以上も昔の話、いやぁー気が遠くなるような大昔です@_@;)
"Hydruntum" からどうやって変化して現在の "Otranto" へと街の名がなったのかはナゾですが、いまでも地元「オトラントっ子」のことを "Idruntini(イドゥルンティーニ)"と呼ぶあたりに、その悠久の町の名の名残が感じられます(現在ではオトラントっ子を "Otrantini" と呼ぶこともありますが)。
(写真右: ナポリ王国時代のサレント半島の古地図)


紀元前3世紀ローマ帝国の拡大期に起こった、かの有名な「ポエニ戦争」ではカルタゴの名将ハンニバルに味方しローマに反抗したこともありましたが、その後のオトラントはローマ帝国の東方世界への玄関口として、イタリアの文化また経済上とても大きな役割を担って栄えることになります。


そして時代をずっとくだった1480年7月(日本だと応仁の乱、室町時代から戦国時代の幕開けのころですから、まだまだ古いはなしですが^^;)、当時イケイケの超大国でヨーロッパ侵略をくり返していたオスマントルコの海軍が突然オトラントの港に現れます…! あれよあれよという間に上陸してきたオスマントルコの大軍にびっくりしたオトラントっ子たちは石壁で囲まれた街の中にたてこもり抵抗しますが(その当時は大きな街だったにもかかわらず小さな砦があるだけで、お城らしいお城がオトラントには無かったんですねぇ、なんと平和な。。。)、当時最先端の装備をもった150隻2万人のオスマントルコ軍が艦上から大砲をドンドン撃ちこんでくるからひとたまりもありません。わずか10日あまりでオトラントの街は陥落してしまいます。
最後まで抵抗した人々のうち、15才以上の男性はオスマントルコ軍により一人のこらず処刑され、残った女性や子どもたちも奴隷として捕えられてしまいました。オトラントっ子のうち800人はこの戦いの間ずっと教会に隠れていたのですが結局みつかってしまい、オスマントルコ軍の大将にキリスト教からイスラム教への改宗を迫られましたがこれを拒んだため、皆つぎから次へと斬首刑にされたのです…!それでもかたくなに信仰心を貫くこの800人のオトラントっ子たちに感心し共感したオスマントルコ軍の処刑執行人当人でさえ、ついに処刑の途中で逆にイスラム教からキリスト教へと改宗してしまったのですが、当然すぐさまこの処刑人も処刑された… なんていうエピソードも残っています。


この惨状の報告を受けイスラム帝国によるヨーロッパ征服の危機を感じたローマ教皇から要請を受けた、当時のイタリア随一の実力者 = ナポリ王国のフェルディナンド1世を中心とする十字軍が派兵され反撃を開始しますが、戦闘が1年を過ぎたころ、イスタンブールにいるオスマントルコの皇帝が死去したため、しぶしぶオスマントルコ軍が撤退します。
街の人口も2万人から8000人へと激減し、オトラントの人々も街もみな壊滅的なひどい目に遭いました。ほとんどの人々がオスマントルコ軍の再来を恐れ街を捨てましたが、それでもわずかに残った人々を中心に街は復興され、約60年経った1539年の記録によると、約600家族、3200人が住むまでになったそうです。
オスマントルコ軍は1535年と1537年の2回、ふたたびイタリア攻略の足がかりにしようとオトラントへ襲来しますが、この時は襲来に備えて強固なお城が築かれていたこともあり、オトラント側はトルコ軍を撃退することに成功しています。


(写真左: オスマントルコ海軍の艦隊司令官で歴史上初めて正確な世界地図を作成した有名な地図学者 Piri Reis によるオトラント周辺の地図。イタリア側だけでなくトルコ側にとってもOtrantoが重要な要衝であったことがうかがわれます…)


いかがでしたか? ちょっと壮絶な歴史話で疲れちゃったかもしれませんね…? ^^;)


以前「サレントをゆく」シリーズのレッチェ市のカルロ5世城をご紹介した回(コチラ)でもオスマン帝国の脅威について触れましたが、この「オトラントの戦い」は、オトラントだけでなくレッチェやサレント半島全体の歴史を語るうえで、やはりどうしても欠かすことのできない歴史的大事件だったんです。


今でもサレント半島の海岸線沿いを中心に、半島全体をぐるっと囲むように "Torre(トルレ)" と呼ばれる『見張り砦』というか『のろし台』(直訳すると "塔"、英語の "Tower")が数kmおきに立っています。
(写真左: 地図で数えてみたら、約50基ありました♪ 海岸線沿いに赤く下線のひいてある場所が Torre の残っている場所、見えますか?たくさんあるでしょう?!)
これらは実際に外敵 = トルコ軍の襲来を、味方にいち早く知らせて援軍を求める通信手段として活躍したものです。 サレントを旅行で訪れる際にはぜひ、個性的にさまざまな姿をした味わい深ーい歴史的建造物、Torreめぐりをしながらサレントの海岸線をドライブで一周するというのもオススメです!♪!♪!
(写真右: Torreのうちの一つ、Gallipoli 近くにある Torre Quattro Colonne です。個性的ですねぇ☆)


じつはFracciaMacciaもこのTorreのひとつ、"Torre Roca Nuova" という場所で、町役場にお願いをして特別に結婚式を挙げさせてもらったんです。そんなイタリアでの結婚式や、サレント半島のTorre(トルレ)については、またの機会にご紹介しますからお楽しみにー 




ところで、以前も登場したレッチェ県(Provincia di Lecce)の紋章ですが、コレもともとは、サレント半島一帯がナポリ王国に属していた時代(13〜19世紀)のオトラントの紋章に由来しています。左が現在のレッチェ県の紋章、右が古いナポリ王国時代のオトラント(Terra d'Otranto)の紋章。比べてみるとどうですか、似てるでしょう?というよりほとんど同じですよね^^
背景の赤と黄色の縦ジマは、地元サッカーチーム U.S. Lecce のユニフォームのデザインにもなっていますが、これは15〜19世紀にかけてサレント半島を支配した、もともとイベリア半島出身のナポリ王国アラゴン朝の紋章と同じです。
(写真右: そういえば現在のスペインの国旗やサッカーのスペイン代表のユニフォームにも、この黄と赤のデザインが受け継がれていますね。)
それから真ん中にいるモノは… なんでしょう??気になります。。


これ、よく見てみると…?じつはイルカが三日月をくわえている姿なんです☆
イルカ = Delfino (デルフィーノ) は、ギリシャから海を渡ってやってきたサレントの人々を象徴しており(イルカは昔から地中海全体、アドリア海にもたくさんいたようです)、三日月はイスラム教を表しています。あの悲惨な「オトラントの戦い」を決して忘れない、そして二度と同じような目に遭いたくないという平和への願いが込められているんですねぇ… サレントに、紋章に歴史あり。って感じです。


ちなみに現在のオトラント市の紋章も一風変わってますよ♪(写真右)コレにまつわる昔話が残っていて、かつてオトラント海峡を照らす灯台の明かりは油を燃やした火だったそうなのですが、夜な夜なヘビが灯台の壁を上ってきては、好物の油をなめて火を消してしまい沖をいく船乗りたちを困らせたのだそうです。そんな話がもとになってできたオトラントの紋章、灯台のある海峡の街ならではだなぁという感じですね☆ 
灯台の窓からくびをつっこんでペロペロと油をのもうとしているヘビがなんとなぁーくユーモラスでかわいいと思いませんか?
今ではこの灯台も使われることなく、タテにぱっかりと割れた姿になってしまっていますが、それでも海峡を照らしていた往時をしのばせる圧倒的な迫力を感じさせています。地元では "Torre del Serpe (トルレ・デル・セルペ)" ずばり "ヘビの塔" と呼ばれています。
あっ念のためですが、この灯台跡のまわりやオトラント周辺に別にヘビがたくさん生息しているわけではないですからご心配なく!^^


おーっと、また紋章の話ばかりしている間に今回も終わりが近づいてきてしまいました。
次回はオトラント観光の際にはぜひぜひ立ち寄ってほしい、観光スポットの目玉ともいうべきお城と大聖堂をのぞいてみることにしましょう♪ お楽しみにー☆


Ciaoooooo!!! 




★ 次回予告 ★
イタリアでオリエント世界にもっとも近い街 Otranto の散策、その第2回をお送りしまーす☆



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