イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/08/18

〜 サレントをゆく 〜 Otranto オトラント編(その2)

Ciao a tutti! みなさんこんにちはー☆ 


さてさて "サレントをゆく"シリーズの第2弾ということで、前回からOtranto (オトラント) の街を訪れています。
といってもずいぶんと間があいてしまったのですが、今回もその後編をお届けしたいと思いまーす♪


イタリア最東端の街 、つまりイタリアで太陽が生まれる街 」オトラントは、レッチェ市から南下して、イタリア半島の "かかとの底" にさらに近づいたところにある小さな港町ですが、侮るなかれ。びっくりするほど見どころ満載ですよ!
それではさっそく参りましょー♪



オトラントより北にあるレッチェ市 (Lecce) 方面、あるいは西にあるガッリーポリ市 (Gallipoli) やマッリェ市 (Maglie) などからオトラント (Otranto) を訪れるとき、たいていの場合は海辺に広がるオトラントの街全体を望む丘をいっきに下り街へと入ることになります。


見てください、この透きとおるような水をたたえたきれいな港!オトラント港 (Port d'Otranto) は、かつて古代ギリシャやローマ帝国時代から中世にかけての長い年月、文字どおり「西洋と東洋の架け橋」として文化や交易の重要な要衝にありましたが、近代以降は同じプーリア州内でも北部にあるバーリ市 (Bari)やブリンディシ市 (Brindisi)に貿易の中心をとって代わられ、いまとなっては小型漁船以外にはほとんど商業らしい活動が行なわれている様子がうかがえません。 港に係留されている船も、レジャー用の個人所有の小型ヨットが中心です。


かつての栄華の面影を街並にとどめているとはいえ、1000年以上にわたり東洋と西洋交流の重要な役を担ってきた国際都市とは思えないほどの、現在の静かな港町としての落ち着いた美しさやのんびりとした開放感を目の当たりにすると、ある種の不思議さや違和感をおぼえつつ、この街の悠久たる歴史の営みに圧倒されそうにすらなります。。




オトラントの街でドーンとひときわ目立つ存在感を示しているのが、このオトラント城 "Castello d'Otranto" です☆
前回(コチラからどうぞ)ご紹介した15世紀末の壮絶なオスマントルコ軍との戦い(いわば "サレント版 元寇" とでもいった感じですが、地元住民が直接受けた被害はまちがいなく元寇以上だったことでしょう…)を経て増改築がくりかえされ、実戦向きかつ、かなり奇抜な姿をしたお城となっています。
お城好きの方はもちろん、とても見晴らしがいいので、お城に特別興味がない方でもきっと海辺の街歩きのようにオトラント城の散歩を楽しめると思いますよ♪  
(写真右: 海に面した城壁の上にあるおしゃれなカフェやレストランでひと休みするもよし^^)












こちらは昼間の顔 
オトラント城は、街が1480年にオスマントルコの侵攻をうけた後、以前からあった小さな砦を大幅に改築増強するかたちで1485年の着工から14年かけて築城されました。当時オトラントを含むサレント半島一帯がナポリ王国の領地であったため、ナポリ王フェルディナンド1世 (Ferdinando I°) の命令により、のちに築かれたレッチェ市のカルロ5世城 "Castello Carlo V" (カステッロ・カルロ・クイント。コチラです) と同じく、重厚で堅牢な城壁を特徴とするアラゴン様式で築かれています。
このころは強力化した大砲に対する防備がお城を建築するうえで重要なテーマだったんですねー


そしてこちらは夜の顔 
完成当時はきれいな正五角形をしていたそうですが、その後も100年にわたり度重なる増改築が行なわれたため、ずいぶんといびつな形となってしまいましたが、まぁそれもこのお城をユニークで味わいのあるものにしてて、いいじゃないですか♪ ^^


実際、じつはこのオトラント城は、18世紀の有名なイギリス人作家ウォルポールによって書かれた世界初のゴシック小説にも登場しているんです☆ 




恥ずかしながら『ゴシック小説』なんていう小説のジャンルがあることすら知りませんでしたが…『嵐が丘』や『緋文字』そして『オペラ座の怪人』などの名作にも影響を与えた神秘的、幻想的な小説の先駆けだそうです^ ^;) 
その小説のタイトルはズバリ『The Castle of Otranto 〜 オトラント城奇譚』! オトラントもなかなかやるなーって感じです
歴史や文化の交差点にあるこの重厚かつユニークなお城に作家もなにか惹かれるものがあったのでしょうか? ちなみにこの作者ウォルポールという人は、英国初代首相ウォルポールの息子さんだそうです。


話は脱線しますが、ウォルポールより150年近く前のイギリスで活躍したシェークスピアも、「オセロ」や「ロミオとジュリエット」に「ヴェニスの商人」、さらには「ジュリアス・シーザー」など彼の代表作の多くがイタリアを舞台にしていますよね。
小説家たちにとってもイタリアというのはたいへん魅力的だったようですが、それは現代の我々にとっても古今東西変わらないのかもしれません^^
さぁーてさて! それではお次はオトラントの歴史街区の中心に構える大聖堂へとむかいましょう! 
街の人々にはそのまま「La Cattedrale(大聖堂)」と呼ばれるのが普通ですが、正式には
Cattedrale dell'Annunziata (カテドゥラーレ・デッラヌンツィアータ)" という名をもつこの大聖堂が、石畳の通りを抜けると、奥行54m × 横幅25m もある堂々とした姿を現します(ちなみに、プーリア州で最大です!)。
朝日や夕日を浴びるとサレント特産のレッチェ石(Pietra Leccese)が乳白色に輝き、優しい雰囲気を醸し出し、また日中とはことなる表情をみせてくれます。


オトラントの大聖堂はオトラント城よりもずっと古く、1080年に12年の歳月をかけて建てられました。それから約1000年が経った現在、その外壁には修復が施されている部分もありますが、長いあいだ潮風に当たって浸食された石灰岩の壁の具合に歴史が刻まれています。


壁一面を豪華な彫刻の "レッチェ=バロック様式" で飾った、レッチェ市の歴史街区にある歴史的建造物たちと比べると、ずいぶんサッパリとした印象です。15世紀につけ足された出入り口のファサード(バロック様式)とその上にあるローズ窓(ゴシック様式)が浮いてみえてしまうくらいです(苦笑)


この質素な外観はおそらく、、当時サレント半島を統治し建設を指揮した、スカンジナビア半島→フランス→シチリア経由でやって来たノルマン人(Normanni =バイキングたち) が建てたから?…なのかな? 
現代でも北欧の家具や自動車や建築ってシンプルかつかっこいいデザインが多いですけど、かれらのご先祖であるバイキングも「シンプルイズベスト、質実剛健、機能重視」という気質の持ち主だったのかもしれませんね? つまり北方民族のモノ作りというのは伝統的に昔からそういう精神が貫かれていたんじゃないかなー?と、FraciaMacciaは勝手に想像していますが真相のほどは。。いかに???
おっとっと脱線ダッセン^^;)


では大聖堂の中へ入ってみましょーか…質素な外観からは想像できないような驚きがそこには待っていますよぉー
見てください、 広々とした大聖堂内部の床にびっしりと描かれたモザイク画が目に飛び込んできます!
このモザイクはヨーロッパではけっこう有名なもので、というのも床に描かれたモザイク画としてはヨーロッパ最大なんです☆


このモザイク画は "L'albero della Vita" (ラルベロ・デッラ・ヴィータ = 『生命の樹』) と呼ばれ、よくみると、さまざまな色のテラコッタや石そしてガラスなどの小片が組み合わさって出来ています。


Pantaleone(パンタレオーネ)という名の地元オトラントの修道僧のデザインのもと、1166年に4年かけて作られました(1993年に大規模な修復が完了しています)。
彼や地元サレントの職人たちだけでなく、ノルマン人(= バイキング) の石工やトスカーナの職人たちも遠路はるばるやってきて手伝ったそうですよ。




大聖堂の出入口の床、ちょうどモザイクの木の一番下の部分には作者Pantaleoneの名をハッキリと見てとることができます。そこから2頭の大きなゾウの背に乗った1本の巨樹が大聖堂の奥にむかってズドーンと伸び、左右に枝をひろげている姿はまさに圧巻です。。
(写真左: 生命の樹を支えるゾウさん☆…う〜ん、このゾウさんの鼻、なんかスリムでビミョーですね? 笑)


その巨樹の枝先からは、それぞれ四季折々の人間の営みや12星座(12ヶ月)、そして歴史上の人物や聖書に登場する人物が、たーーーっくさん描かれています。
たとえば。。。
← こちらは「アレキサンダー大王」。ラテン語で "ALEXANDER REX" と記してあるのが見えますか?
そのほか「アダムとイブ」、「カインとアベル」、「ノアの箱船」、さらには「アーサー王」などなど。。みんなそれぞれのキャラクターにちゃんと名前が書いてあってわかりやすいです^^


生命の樹の左にはもう1本の樹が伸び、キリスト教の「最後の審判」をテーマに描いている一方、右側にももう1本の樹があり、そこに描かれているのはギリシャ神話やスカンジナビアの北欧神話、また遠くペルシャ神話までもが題材になっています。


このように、キリスト教の大聖堂内にあるとはいえ、宗教や国家というイデオロギーを超えた人類普遍の出来事やテーマを広くとりあげているこのモザイクは、当時の人々がそれまで見聞きしてきた人類や地球の足跡を、後世の私たちに知恵のかぎりを尽くしてできるだけ万人に分かりやすく伝えようとしてくれているかのようで、力強く訴えかけてくるものがあります。
まさにその姿は「生命の樹」だなーと、ただただ納得するばかりです。


描かれている動物や人間の姿ひとつひとつをただ眺めるだけでも、その素朴でユーモラスな姿に親しみを感じて、思わず見入ってしまいますよー(笑)


写真では、このモザイクの大きさや雰囲気が十分に伝えきれないのが残念です…が、サレントに行ったらぜひオトラントの大聖堂へ足を運んで、ご自分の目で存分に味わってくださいね!
僕たちFracciaMacciaはひそかに、プーリア州から次の世界遺産が誕生するとしたら、レッチェ市のバロック建築群とならんで、このオトラントの大聖堂のモザイクがその最有力候補になるのではないかなー?って思っているくらいなんですよ♪☆♪☆♪


それと、この大聖堂の地下にある礼拝堂、Cripta (クリプタ) もお見逃しなく!この地下礼拝堂には42本の石柱が立っていて、その1本1本が産地の異なる石で、異なるデザインになっています。 なんでだと思いますか??









じつは、オトラント郊外にはその昔、学問所を兼ねた大きな修道院があって、ヨーロッパや小アジア、果ては北アフリカまで地中海をぐるっととり囲む世界各地から海を渡ってやってきた多くの若者たちが、集って学問に励んでいたそうなんです(大聖堂の床のモザイクを描いたPantaleone もこの修道院の修道僧でした)。

つまりこの修道院の図書館と学問所は11世紀後半創立、「ヨーロッパ最古の大学」だったのではないか?と多くの研究者たちに考えられています。 残念ながら例のオスマントルコの侵略を受けたとき、この修道院兼大学も壊滅的打撃を受け今ではわずかに跡が残るのみですが。。(現存する欧州最古の大学は、ナポリ大学あるいはボローニャ大学とされています。語学や医学や哲学など、学問により異なるようですね)
 当時オトラントで学んでいた学生たちはきっと何年間もずっと故郷に帰ることができなかったことでしょう… というわけでこれらの柱は、1本1本がそれぞれ地中海じゅうの国や地域を表しており、その各地からわざわざ集められた石で作ることによって、それに手で触れた学生や修道僧たちが故郷を感じてホームシックにならないようにしたものなんだそうです。


すごい話ですねー!皆さんも大聖堂の地下礼拝堂を訪れたら、お気に入りの柱を見つけてぜひ触れてみてください。往時の学び舎に思いを馳せてみるのも乙なものです^^
  
さぁ今回のオトラント散策もそろそろ終わりが近づいてきました。小さな港町オトラント、いかがでしたか?


南イタリア旅行とくにせっかくプーリア州を観光で訪れるならば、Alberobello(アルベロベッロ)止まりではもったいないですから、もうちょーっとだけ南下してサレント半島まで足を伸ばしてほしいです(だってプーリア州の本当の良さというのは、サレント半島のこういう海辺の小さな街にこそあると思うんです)。
ご紹介したオトラントも観光コースに加えていただければ、きっと素敵な旅行プランを作ることができると思いますよ


これからも当ブログ Cartoline dal Salento では、まだ日本ではなじみのうすいサレントの魅力的な街々を紹介していきたいと思います! ぜひ南イタリア個人旅行を計画される際の参考にしてくださいね♪ 


それでは皆さんも厳しい残暑に負けず、元気にお過ごしください♪ また次回お会いしましょう☆
Buon proseguimento d'estate e... non fatevi abbattere dal caldo! (^O^)/
ciaoooooo!!




★ 次回予告 ★
皆さんイタリアの野菜というと何を思いますか?トマト?そうですねそうですね♪
次回は、我が家のベランダ菜園でがんばっているイタリア野菜たちをご紹介したいと思います♪  お楽しみにー!




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4 件のコメント:

生命保険の選び方 さんのコメント...

いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

しおり さんのコメント...

すごく素敵なところですね!!
大学の卒論でウォルポールの
The Castle of Otrantoを研究しているので
お城の写真が見れてとっても嬉しいです!!
卒業旅行で行きたくなりました^^

匿名 さんのコメント...

FracciaさんMacciaさん

こんにちはドイツのバーデンバーデンに住んでいるMinipenと申します。
水曜日からイタリア大好きな夫とイタリア料理大好き(もちろんイタリアもw)大好きな私でLecceを訪ねて見ることにしました。

滞在期間は水曜日(夜)から日曜日なのですがその間に出来れば市場に行ってみたいと思っております。
そこでいきなり質問なのですが、Lecceには市場があるのでしょうか?それとも週に何度か市が立つという感じなのでしょうか?もしよろしければ住所とお勧め(の市)をお教えいただけますと幸いです。

よろしくお願いいたしますm(_ _"m)

FracciaMaccia さんのコメント...

Minipenさん☆ ブログを訪れていただき、またお問い合わせいただきましてありがとうございます♪
私たちFracciaMacciaは2013年にDiscoverSalento.com(ディスカバー・サレント観光協会)を立ち上げ、そちらで有料サービスを開始すると同時に、以前行なってきた無料ボランティアのサービスは終了させていただいているんです。。
申し訳ありませんが、ご理解いただけると幸いです。もしよろしければ、info@discoversalento.com までご連絡頂けますか? 喜んでお問合せの件につき詳細の情報をご提供させていただきます(有料となります)。
良い旅を!ご連絡お待ちしてまーす^^